訓読 >>>
572
まそ鏡(かがみ)見飽かぬ君に後(おく)れてや朝夕(あしたゆうへ)にさびつつ居(を)らむ
573
ぬばたまの黒髪(くろかみ)変はり白(しら)けても痛(いた)き恋には会ふ時ありけり
574
ここにありて筑紫(つくし)やいづち白雲(しらくも)のたなびく山の方(かた)にしあるらし
575
草香江(くさかえ)の入江にあさる蘆鶴(あしたづ)のあなたづたづし友なしにして
要旨 >>>
〈572〉何度お逢いしても見飽きることのない貴方に取り残され、朝も夕もさびしくなりました。
〈573〉黒髪が年をとって白くなっても、まだ辛い恋に会うなんて。こんなこともあるのですね。
〈574〉ここ大和から筑紫を見ると、どちらの方角にあるのだろう。白雲がたなびくあの山の彼方であるに違いない。
〈575〉草香江の入江に餌をあさる一羽の鶴のように、ああ、心細いことだ。あなたのような友がいなくて。
鑑賞 >>>
天平2年(730年)12月、大宰帥の大伴旅人が、大納言に任命されて帰京しました。572・573は、その時に、昵懇の間柄であった沙弥満誓が旅人のもとに贈った歌です。満誓は、養老7年(723年)2月に大宰府に赴いており、観世音寺別当として筑紫に残っていましたが、筑紫滞在はすでに8年になんなんとしていました。572の「まそ鏡」は「見」の枕詞。573の「ぬばたまの」は「黒」の枕詞。女の恋めかして歌い、男相手の恋愛仕立ての歌となっており、このような形で親愛の情を示すことはよく行われていたようです。この歌に対して、旅人が返したのが、574・575の歌です。
574の「白雲」の「シラ」は「知ラ」に通じており、「白雲のたなびく山」は中国の故事、白雲謡を踏まえた表現との指摘があります。「方にしあるらし」の「し」は強意、「らし」は確信に基づく推定。斎藤茂吉は、この歌を秀歌に挙げつつ、次のように言っています。「旅人の歌調は太く、余り剽軽(ひょうきん)に物をいえなかったところがあった。讃酒歌(さけをほむるうた)でも、『猿にかも似る』といっても、人を笑わせないところがある。旅人の歌調は、顫(ふるえ)が少いが、家持の歌調よりも太い」。
575の「草香江」は、難波から奈良京への経路にあたる河内国の地(東大阪市日下町)であり、旅人は、もう間もなく都に着くころに満誓からの歌を受け取ったとみられます。上3句は「たづたづし(心細い、たよりないの意)」を導く序詞。心の通った友と遠く離れてしまった心もとなさを吐露しており、また同時に、今の自分の周りには満誓や憶良のような存在がいない寂しさを表出しています。