大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

風吹けば黄葉散りつつ・・・巻第10-2198~2200

訓読 >>>

2198
風吹けば黄葉(もみち)散りつつ少なくも吾(あが)の松原(まつばら)清くあらなくに

2199
物思(ものも)ふと隠(こも)らひ居(を)りて今日(けふ)見れば春日(かすが)の山は色づきにけり

2200
九月(ながつき)の白露(しらつゆ)負(お)ひてあしひきの山のもみたむ見まくしもよし

 

要旨 >>>

〈2198〉風が吹くと、黄葉が散り続けて、この吾の松原はちょっとやそっとの清らかさではない。

〈2199〉物思いをして籠っていて、今日はじめて見ると、春日山はすっかり色づいていたよ。

〈2200〉九月の白露を浴びて、山々が一面に色づくさまを見るのはいいものだ。

 

鑑賞 >>>

 「黄葉(もみち)を詠む」歌。2198の「少なくも~なくに」は、ちょっとやそっとの~ではない。「吾の松原」は伊勢国三重郡にあった松原で、今の四日市市辺りではないかとされます。2199の「九月」は陰暦の9月で、晩秋にあたります。「春日の山」は、奈良市東方の山地。2200の「あしひきの」は「山」の枕詞。

 なお、こんにち「もみじ」といえば「紅葉」と書きますが、『万葉集』の表記で「紅葉」とあるのは、1例のみで、76例は「黄葉」と書かれています。「毛美知」のような一字一音の仮名の場合は別として、赤系統は紅葉1、赤葉1,赤2の4例だけで、黄系統は黄葉76のほか黄変6、黄3、黄色2、黄反1の計88例もあります。万葉のころは、赤・黄に拘わらず、秋になって木々の葉が変色するのを、共に称したのでしょう。