訓読 >>>
4128
草枕(くさまくら)旅の翁(おきな)と思ほして針(はり)ぞ賜(たま)へる縫(ぬ)はむ物もが
4129
針袋(はりぶくろ)取り上げ前(まへ)に置き返さへばおのともおのや裏も継(つ)ぎたり
4130
針袋(はりぶくろ)帯(お)び続けながら里ごとに照らさひ歩けど人もとがめず
4131
鶏(とり)が鳴く東(あづま)をさしてふさへしに行かむと思へどよしもさねなし
要旨 >>>
〈4128〉この私を旅にある老人とお思いになって、針をお贈り下さったのですね。何か縫う物でもあればよいのですが。
〈4129〉頂いた針袋を取り上げて前に置き、裏返して見ると、何とまあ、裏地まで付いているではありませんか。
〈4130〉針袋を腰につけたまま、里という里を見せびらかして歩いてみましたが、誰一人とがめません。
〈4131〉遠い東に向かって針袋にふさわしい旅に出ようと思いますが、そのきっかけがありません。
鑑賞 >>>
天平勝宝元年11月、大伴家持は、すでに越前の国に転出していた大伴池主に何かの贈り物をしたようです。ところが到着したものは中身と表書きとが違っていました。ここの歌は、題詞に「越前の国の掾(じよう)大伴宿祢池主が(家持に)贈ってきた戯れの歌」とある、池主が家持に贈った4首で、歌の前に、池主が書いた手紙の文章が載っています。
「突然の頂き物に、驚きとともに深い喜びにたえません。心中うれしく思いながら、ひとり座って早速に開いてみますと、表書きと中身が違っておりました。どうして違っているのか、その理由を察するに、無造作に荷札をつけられたのではないでしょうか。そうだと存じ上げながら一言申し添えますが、まったく他意はございません。およそ本物を他の物とすり替える行為は、その罪が軽くありません。不正によって得た財貨はその倍の財貨をもってただちに償わなければなりません。いまお便りをお送りし、使者を派遣します。すぐにご返事下さい。決して遅れてはなりません。
勝宝元年十一月十二日、物をすり替えられた下級役人が、謹んで、すり替えた人を国府の裁判官に訴えます。
別途申し上げます。愉快に思って黙っていることができず、四首の歌を作ってみました。眠気覚ましの代わりにでもなさってください」
4128の「草枕」は「旅」の枕詞。「もが」は、願望。4129の「針袋」は、旅行に携帯する針を入れる袋。「おのともおのや」の「おの」は、驚きを表す感動詞。何とまあ。4130の「照らさひ」は、見せびらかして。4131の「鶏が鳴く」は「東」の枕詞。「ふさへ」は、ふさわしいの意か。「よしもさねなし」の「よし」は、きっかけ、「さねなし」は、決してない。
上掲の手紙の文章の訳文では分かりにくいですが、池主は、文中で律令用語や公文書用語を物々しく書いて戯れています。左注には、これらに対する家持の返歌は紛失して見つけることができないとありますが、生真面目で若き律令官人としての矜持をもつ家持にそのユーモアは通じなかったとみえます。かなり癇に障ったらしく、ひょとして烈しく池主の文言を非難したのではありますまいか。そう推測させるのが、この次にある池主による第2信であり、彼は平身低頭するかのように家持に対して先便の非礼を詫びています。
大伴池主
生没年不詳。天平18年(746年)ころ越中掾(じよう)として大伴家持の配下にあり、『万葉集』に、家持との間に交わした多くの贈答歌をとどめるが、大伴一族とあるのみで系譜は不明。のち越前掾に転じ、さらに中央官として都にかえった。天平宝字元年(757年)、橘奈良麻呂の変に加わって投獄され、その後の消息は不明となっている。