訓読 >>>
4132
縦(たた)さにもかにも横さも奴(やつこ)とぞ我(あ)れはありける主(ぬし)の殿戸(とのど)に
4133
針袋(はりぶくろ)これは賜(たば)りぬすり袋(ぶくろ)今は得てしか翁(おきな)さびせむ
要旨 >>>
〈4132〉縦の関係からも、横の関係からも、とにかく奴として私はいたことでした。主のあなたの御門に。
〈4133〉針袋は確かに頂戴しました。今度はすり袋を頂いて老人らしくいたしとうございます。
鑑賞 >>>
4128~4131で、大伴池主が家持に歌と手紙を贈った後、さらに家持に贈った歌。歌の前に、池主が書いた手紙の文章が載っています。先の手紙に対する家持からの返事は載っていませんが、池主の文面はかなり家持を立腹させたらしく、ここではひたすら平身低頭して非礼を詫びる内容となっています。
「駅使(はゆまづかい)を出迎えるため、今月の十五日に、越前国管内の加賀郡にある国境まで参りました。あなたのおいでになる射水の郷が面影に浮かび、ここ深見村で恋しさをつのらせております。わが身は胡馬(こば)ではないものの、心は故郷から吹いてくる北風を受けながら悲しんでいます。月明かりの下をさまよっても、どうしようもありません。ようやくお手紙を得て開いてみますと、そのお言葉にこれこれとありました。先に差し上げた書状が、意に反して誤解を生じてしまったのではないかと心配しています。私が薄絹をお願いしたために、心ならずも国守をお悩ませしてしまいました。水をお願いして酒をいただくのは、もとより望外の喜びです。処置が私利のためではなく時宜に適っていれば、法に反していても決して悪吏とは申せません。繰り返し針袋の御歌を詠唱してみますと、言葉の泉は酌み尽くせません。膝を抱えてひとり笑い、旅の愁いを除くことができました。楽しさにうっとりとして日を過ごし、思い悩むこともなくなりました。拙文にて、意を尽くすことができません。
勝宝元年十二月十五日、物を無心した下級役人より、人に伏さぬ国守さまへ。別に奉る歌二首」
4132の「縦さにもかにも横さも」は、越中にいて家持の下僚として縦の関係にあったた時も、越前に転任し関係が横になった今も、の意。「主の殿戸」は、仕える主人の殿の御門で、奴の詰所。家持に対し無二の真実を持っていることを言っています。4133では、私はあなたの奴のように思っているので、あなたも私をそのように思って、さらに物を下さいと、すり袋を無心しています。「すり袋」が何であるかは未詳ながら、それを持つと翁(老人)のように見える物だったようです。