訓読 >>>
4387
千葉(ちば)の野(ぬ)の児手柏(このてかしは)のほほまれどあやに愛(かな)しみ置きてたか来ぬ
4388
旅と云(へ)ど真旅(またび)になりぬ家の妹(も)が着せし衣(ころも)に垢(あか)付きにかり
要旨 >>>
〈4387〉千葉の野の児手柏の若葉のように、まだ蕾のままだけど、やたらに可愛くてならないので、そのまま触れずにはるばるやって来た。
〈4388〉一口に旅と言っても、本当の長旅になってしまった。家の妻が着せてくれた衣に、垢がついてしまったことだ。
鑑賞 >>>
下総国の防人の歌。作者は、4387が千葉郡(ちばのこおり)の大田部足人(おおたべのたるひと)、4388が占部虫麻呂(うらべのむしまろ)。下総国からの行程は、上り30日と定められていました。
4387の「千葉」は、千葉市と習志野市の一帯。「児手柏」は、現在の何の木であるか不明ですが、その葉が子供の手を広げたような形をしている柏だろうとされます。上2句は「ほほまれど」を導く譬喩式序詞。「ほほまれど」は、フフメレドの訛り。つぼんで開かずにいる意で、年若い女の比喩。「たか来ぬ」は「高来ぬ(はるばる来た)」あるいは「誰が来ぬ(誰が来た)」と解する2説があります。上掲の訳は前者によっていますが、後者によると、自分が置いてきたのを、誰かと疑問の形であらわし、よくも置いてきたものだ、のような意味になります。いずれにせよ、妻問いをしたかしないかの初歩段階での、まだ一人前になりきらない相手へのこよなき愛を歌っています。
4388の「旅と云(へ)ど」は「旅と云(い)へど」の約。「真旅」は、衣に垢が付くほどの長旅。「妹(も)」は「いも」の約。「垢付きにかり」の「かり」は、ケリの訛り。衣が垢づいたのを見て、妻と別れての旅の久しくなったことをしみじみ思った歌で、窪田空穂は、「類想の多い歌であるが、・・・婉曲な言い方をしているところにあわれさがある」と言っています。
※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について