大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

百足らず八十隈坂に手向けせば・・・巻第3-427

訓読 >>>

百(もも)足らず八十隈坂(やそくまさか)に手向(たむ)けせば過ぎにし人にけだし逢はむかも

 

要旨 >>>

多くの曲がり角がある坂道で、道の神に供物を捧げたら、亡くなった人にもしや逢えるだろうか。

 

鑑賞 >>>

 田口広麻呂(たのくちのひろまろ)が死んだときに、刑部垂麻呂(おさかべのたりまろ)が作った歌。田口広麻呂は、慶雲2年(705年)に従五位下になった田口朝臣広麻呂かといわれます。歌の内容からは旅の途中で亡くなったと見られますが、題詞には「死」の語が用いられており、四、五位の人の死には「卒」というため、刑死だったか、あるいは別人かもしれません。刑部垂麻呂は伝未詳ながら、その名から処刑執行部族ではなかったとも推測されています。『万葉集』には2首。

 「百足らず」は、百に足りない数の意で「八十」にかかる枕詞。「八十隈坂」の「八十」は多数を表し、多くの曲がり角がある坂道の意。「隈」は、川、道などが曲がる内側の称であり、「隅坂」は峠の頂上近くの急な勾配を緩和させるために道の屈折を多くしてある所。ここは黄泉に通じる坂の意で言っているとされます。「手向け」は、行路の安全を願い、幣を奉って祈ること。「過ぎにし人」の「過ぐ」は、死ぬ意の敬避表現で、亡くなった広麻呂のこと。「けだし」は、もしや。「逢はむかも」の「かも」の「か」は疑問、「も」は詠嘆。

 

 

※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について

『万葉集』掲載歌の索引