訓読 >>>
1761
三諸(みもろ)の 神奈備山(かむなびやま)に 立ち向かふ 御垣(みかき)の山に 秋萩(あきはぎ)の 妻をまかむと 朝月夜(あさづくよ) 明けまく惜しみ あしひきの 山彦(やまびこ)響(とよ)め 呼び立て鳴くも
1762
明日(あす)の宵(よひ)逢はざらめやもあしひきの山彦(やまびこ)響(とよ)め呼び立て鳴くも
要旨 >>>
〈1761〉神の宿る神奈備山に向き合う、皇居の御垣をなしている山に、秋萩の妻と共寝をしたくて、月夜が明けてゆくのを惜しみながら、山彦をとどかせ、雄鹿がしきりに呼び立てて鳴いている。
〈1762〉今晩にも、妻に逢えないはずはなかろう。それなのに雄鹿は、山彦をとどろかせて、しきりに呼び立てている。
鑑賞 >>>
左注に「或いは柿本人麻呂の作といふ」とある「鳴く鹿を詠む」歌。1761の「三諸」は、神の宿る所。「神奈備山」は、神霊が鎮座する山で、三諸と殆ど同義。ここでは明日香の雷丘(いかづちのおか)。「御垣の山」は、皇居の垣をなしている山で、皇居は明日香の清見原宮。「秋萩」は、牝鹿の譬えで、秋の萩を鹿の妻とする見方の最初の例か。萩は集中最多の用例をもつ植物で140余例あり、鹿、雁、露と取り合わせて多く詠まれています。「朝月夜」は、月が残っている明け方。「山彦響め」は、やまびこを響かせて。「鳴くも」の「も」は、詠嘆。
1762の「明日の宵」は、今晩の意。日没から一日が始まるという見方からの語。「あしひきの」は「山」の枕詞。「やも」は、反語。題詞に「鹿」とあるものの、歌句に主格である鹿の語はなく、内容によって理解されるもので、意識的にそのようにしたものか。国文学者の金井清一は、「当該歌は鹿を歌う常識の枠内で歌い、美しく飾り立てた表現もあり、人麻呂の特色を発揮した作とは言い難い。そこに『或は云ふ』の注がつく所以があろう」と述べています。