大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

見まく欲り思ひしなへに・・・巻第18-4120~4121

訓読 >>>

4120
見まく欲(ほ)り思ひしなへにかづらかけかぐはし君を相(あひ)見つるかも

4121
朝参(てうさん)の君が姿を見ず久(ひさ)に鄙(ひな)にし住めば我(あ)れ恋ひにけり [一云 はしきよし妹(いも)が姿を]

 

要旨 >>>

〈4120〉お逢いしたいと思っていた、ちょうどその折りに、かづらをつけた懐かしいあなたにお逢いすることができました。

〈4121〉朝廷に出仕しているあなたの姿をお見かけせず、長らく鄙の地に住んでいたので、恋しくてなりませんでした。

 

鑑賞 >>>

 大伴家持が、都に上って高貴な人にお目にかかったり、また、美人に逢って飲宴したりする日に備えて、思いを述べ、あらかじめ作った歌。4120の「見まく」は、見ること、見るだろうこと。「なへに」は、ちょうどその時。「かづら」は、縵の冠、髪飾り。「かぐはし」は、懐かしい。「君」は男。4121の「朝参」は、朝廷に官人として出仕すること。「鄙」は、都から遠い地方。ここでは越中。一に云うの「はしきよし」は、ああ愛しい。一云にある「妹」は、前記の「美人」を指します。なお、家持がどのような任務で上京しようとしていたのかは分かっていません。

 

 

越中時代の大伴家持

天平18年(746年)
7月 国守として越中に赴任
8月 国守の館で歓迎の宴
9月 弟・書持の訃報に接し哀傷歌を作る
12月 この頃から病に臥す

天平19年(747年)
2月 越中掾の大伴池主と歌の贈答
3月 月半ばまでに回復か
3月 妻への恋情歌を作る
4月 3~4月にかけて「越中三賦」を作る
5月  このころ税帳使として入京
5月以降、池主が越前国の掾に転任
8月 このころ越中に戻る
8月 このころ飼っていた自慢の鷹が逃げる

天平20年(748年)
2月 翌月にかけて出挙のため越中国内を巡行
3月 橘諸兄の使者として田辺福麻呂が来訪
4月? 入京する僧・清見を送別する宴
10月 このころ掾の久米広縄が朝集使として入京

天平勝宝1年(749年)
3月 越前の池主と書簡を贈答
4月 従五位上に昇叙される
5月 東大寺占墾地使の僧・平栄が来訪
5月 「陸奥国より黄金出せる詔書を賀す歌」を作る
6月 干ばつが続き、雨を祈る歌と、雨が降って喜ぶ歌を作る
7月 このころ大帳使として入京
冬に越中に戻るが、この時、妻の大嬢を越中に伴ったとみられる
11月 越前の池主と書簡を贈答

天平勝宝2年(750年)
1月 国庁で諸郡司らを饗応する宴
3月 「春苑桃李の歌」を作る
3月 出挙のため古江村に出張
3月 妻の大嬢が母の坂上郎女に贈る歌を代作
4月 布勢の湖を遊覧
6月 京の坂上郎女が越中の大嬢に歌を贈る
10月 河辺東人が来訪
12月「雪日作歌」を作る

天平勝宝3年(751年)
2月 正税帳使として入京する掾の久米広縄を送別する宴
7月 少納言に任じられる
8月 帰京のため越中を離れる。途中、越前の池主宅に寄り、京から帰還途上の広縄に会う

『万葉集』掲載歌の索引

大伴家持の歌(索引)