訓読 >>>
721
あしひきの山にし居(を)れば風流(みやび)なみ我(わ)がする業(わざ)をとがめたまふな
725
にほ鳥の潜(かず)く池水(いけみず)心あらば君に我(あ)が恋ふる心(こころ)示さね
726
外(よそ)に居(い)て恋ひつつあらずは君が家(いえ)の池に住むといふ鴨(かも)にあらましを
要旨 >>>
〈721〉山に住んでいるゆえ、都の風雅さもないので、私がする振る舞いをどうかおとがめなさいませんように。
〈725〉カイツブリが深く潜る池の水よ、心があるのなら、君をお慕いする私の心をお見せしておくれ。
〈726〉よそに離れ住んでいて恋い焦がれるのではなく、いっそ君のお家の池に住むという鴨になりたい。
鑑賞 >>>
大伴坂上郎女が聖武天皇に献上した歌3首。郎女がどのような立場から天皇に歌を献上したものかは分かっていません。母の石川郎女と同じように命婦として宮廷に仕えた時期があるのかも不明ですが、亡き父安麻呂や兄の旅人の遺功を承けて氏族を盛り立てるため(直接には家持を朝廷に推輓するため)に、宮廷との関係を親密に保とうとする意図が、作歌の背後にあったのではないかと解されています。脚注には、721は「佐保の宅に在りて作る」とあり、725・726は「春日の里に在りて作る」とあります。春日の里は、聖武天皇の別宮があった所。
721の「あしひきの」は「山」の枕詞。「山にし」の「し」は、強意の副助詞。「山にし居れば」は、郎女が住む佐保のことを卑下して言っています。「風流なみ」の「風流」は、宮廷の風雅なふるまい。「なみ」は、ないので。「我がする業を」は、私の不躾な行為を。佐保の農産物の何かを献上した際に添えられた歌とみられます。725の「にほ鳥」は、カイツブリ。「潜く」は、水に潜ること。「心示さね」は、私の心の中をお示ししておくれ。726の「外に居て」は、大宮の外にあっての意。「あらましを」は、ありたいものを。725・726とも恋歌仕立てになっており、天皇から賜った御製に対する答えであろうといわれます。なお、726の「君が家」という表現は大宮を指す語として相応しくないとして、あるいは題詞が誤っているのではないかとの意見がありますが、離宮ならば「家」と言ってもよいのではないかとする反論もあります。
大伴坂上郎女の略年譜
大伴安麻呂と石川内命婦の間に生まれるが、生年未詳
16~17歳頃に穂積皇子に嫁す
715年、穂積皇子が死去。その後、宮廷に留まり命婦として仕えたか。
藤原麻呂の恋人になるが、しばらくして別れる
724年頃、異母兄の大伴宿奈麻呂に嫁す
坂上大嬢と坂上二嬢を生む
727年、異母兄の大伴旅人が太宰帥になる
728年頃、旅人の妻が死去。坂上郎女が大宰府に赴き、家持と書持を養育
730年 旅人が大納言となり帰郷。郎女も帰京
731年、旅人が死去。郎女は本宅の佐保邸で刀自として家政を取り仕切る
746年、娘婿となった家持が国守として越中国に赴任
750年、越中国の家持に同行していた娘の大嬢に歌を贈る(郎女の最後の歌)
没年未詳