訓読 >>>
2400
いで何かここだ甚(はなは)だ利心(とごころ)の失(う)するまで思ふ恋ゆゑにこそ
2401
恋(こ)ひ死なば恋ひも死ねとや我妹子(わぎもこ)が吾家(わぎへ)の門(かど)を過ぎて行くらむ
2402
妹(いも)があたり遠くも見れば怪しくも我(あ)れはそ恋ふる逢ふよしをなみ
要旨 >>>
〈2400〉さあどうしてこんなにも正気をなくすほどにひどく思いつめるのか、それは恋のせいだろう。
〈2401〉恋死(こいじに)をするなら勝手にどうぞというつもりで、おれの家の門を通り過ぎていくのか、あの恋しい女は。
〈2402〉あの子の家のあたりを遠くに眺めるだけで、不思議なほど恋しくなってくる。逢うすべもないままに。
鑑賞 >>>
「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2400の「いで」は、さあ、さて、どれ、の意の感動詞。「何か」は、どういうわけで。「ここだ」は、多量に。「利心」は、しっかりした心、正気。2401の「恋ひ死なば恋ひも死ねとや」は、恋い死ぬなら恋死にせよというのであろうか。「我妹子」は男性が妻や恋人を親しみを込めて呼ぶ語ではありますが、さまざまなニュアンスが含まれ、折に応じて使い分けられる繊細な人称です。ここでは「意中の女」であり、さらには「憎い女」という感じでしょうか。「らむ」は、現在推量。2402の「怪しくも」は、不思議なまでに。「よしをなみ」は、方法がないので。
相聞歌の表現方法
『万葉集』における相聞歌の表現方法にはある程度の違いがあり、便宜的に3種類の分類がなされています。すなわち「正述心緒」「譬喩歌」「寄物陳思」の3種類の別で、このほかに男女の問と答の一対からなる「問答歌」があります。
正述心緒
「正(ただ)に心緒(おもひ)を述ぶる」、つまり何かに喩えたり託したりせず、直接に恋心を表白する方法。詩の六義(りくぎ)のうち、賦に相当します。
譬喩歌
物のみの表現に終始して、主題である恋心を背後に隠す方法。平安時代以後この分類名がみられなくなったのは、譬喩的表現が一般化したためとされます。
寄物陳思
「物に寄せて思ひを陳(の)ぶる」、すなわち「正述心緒」と「譬喩歌」の中間にあって、物に託しながら恋の思いを訴える形の歌。譬喩歌と著しい区別は認められない。