大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

余明軍が大伴家持に与えた歌・・・巻第4-579~580

訓読 >>>

579
見まつりていまだ時だに変はらねば年月(としつき)のごと思ほゆる君

580
あしひきの山に生(お)ひたる菅(すが)の根のねもころ見まく欲しき君かも

 

要旨 >>>

〈579〉お世話をさせていただいた時から、まだどれほども時は経っていないのに、長い年月を経たように思ってしまう君です。

〈580〉山に生えている菅の長く伸びた根のように、心を込めてねんごろにお世話申し上げたいと思う我が君です。

 

鑑賞 >>>

 余明軍(よのみょうぐん)が大伴家持に贈った歌。余明軍は百済の王族系の人で、帰化して大伴旅人の資人(しじん:付け人)になった人です。主人の旅人が亡くなった時に作った歌が巻第3-454~458にあります。旅人が亡くなった時の家持はまだ11歳という幼さであり、ここの歌は、明軍が1年間の服喪を終え、解任されて式部省に送られることになった際に、家持に与えた歌とされます。彼がいつから旅人の資人になっていたのかははっきりしませんが、歌の内容は、家持の幼少時代から親しく仕えてきた年月も夢のように過ぎ、なおも末永く仕えたいとの思いは切実なのに、それが叶わぬ無念の辛さを披瀝しているものです。亡き旅人の晩年の心中を察する時、明軍としてはその後継者である家持との別離はなおさら堪え難かったのでしょう。

 579の「見まつりて」は、お見上げして、お世話をさせていただいて。「君」は、家持のこと。580の「あしひきの」は「山」の枕詞。上3句は「ねもころ」を導く序詞。「ねもころ」は、心を込めて。

 

 

 

資人(しじん)について

 奈良・平安時代の下級役人で、皇族や上級貴族の官位と官職の特典として国家から与えられた従者のこと。位階に応じて与えられる「位分資人」と、中納言以上の官職に応じて与えられる「職分資人」がある。

 「位分資人」は一位に 100人、二位に 80人、三位に 60人、四位に 40~35人、五位に 25~20人がつけられた。「職分資人」は太政大臣に 300人、左右大臣に 200人、大納言に 100人がつけられ、ともに主人の警固や雑役に従事した。

 大伴旅人が亡くなった時に5首の歌(巻第3-454~458)を詠んだ余明軍(よのみょうぐん)は、旅人の資人だったとされます。