訓読 >>>
4398
大君(おほきみ)の 命(みこと)畏(かしこ)み 妻(つま)別れ 悲しくはあれど 大夫(ますらを)の 心振り起(おこ)し 取り装(よそ)ひ 門出(かどで)をすれば たらちねの 母(はは)掻(か)き撫(な)で 若草(わかくさ)の 妻は取り付き 平(たひ)らけく 我れは斎(いは)はむ ま幸(さき)くて 早(はや)帰り来(こ)と 真袖(まそで)もち 涙を拭(のご)ひ むせひつつ 言(こと)問ひすれば 群鳥(むらとり)の 出で立ちかてに とどこほり かへり見しつつ いや遠(とほ)に 国を来(き)離れ いや高(たか)に 山を越え過ぎ 葦(あし)が散る 難波(なには)に来(き)居て 夕潮(ゆふしほ)に 船を浮けすゑ 朝なぎに 舳(へ)向け漕(こ)がむと さもらふと 我が居(を)る時に 春霞(はるがすみ) 島廻(しまみ)に立ちて 鶴(たづ)が音(ね)の 悲しく鳴けば はろはろに 家を思ひ出 負(お)ひ征矢(そや)の そよと鳴るまで 嘆きつるかも
4399
海原(うなはら)に霞(かすみ)たなびき鶴(たづ)が音(ね)の悲しき宵(よひ)は国辺(くにへ)し思ほゆ
4400
家思ふと寐(い)を寝(ね)ず居(を)れば鶴が鳴く葦辺(あしへ)も見えず春の霞に
要旨 >>>
〈4398〉大君のご命令を畏んで、妻と別れるのは悲しいけれど、男子たるものの気を奮い立たせ、身支度を整えて門出をしようとすると、母が私の頭を掻き撫で、妻は私の袖にとりすがって言う。「ご無事をお祈りしています、どうかご無事で一日も早くお帰り下さい」と、両の袖で涙を拭い、しゃくりあげながら話しかけるので、群鳥のようにさっさと飛び立ちがたく、足もとどまりがちに後を振り返りながら国を出てきた。故郷から遠く離れ、高い山を越えて、やっと葦が生えるここ難波にやってきた。夕潮どきに船を浮かべ、朝なぎを待って筑紫へ舳先を向けて漕ぎ出そうと潮待ちをしていると、春霞が島辺に立ち込め、鶴が悲しそうに鳴くので、はるばるやってきた故郷の家を思い出し、背に負う弓矢がかさかさと音を立てるほどに、私は身もだえをして嘆いている。
〈4399〉海原一面に霞がたなびき、鶴の鳴き声が悲しく聞こえる。そんな宵はしきりに故郷が思われてならない。
〈4400〉故郷を思って寝られずにいると、鶴が悲しく鳴く、その葦辺も見えない。春の霞が立ちこめていて。
鑑賞 >>>
兵部少輔(兵部省の次官)の大伴家持が、防人の気持ちになって詠んだ長歌と短歌。諸国から徴集された防人が作った歌を進上させつつ、その選歌・編集を行うかたわらに歌った歌とみられます。先の第一作(4331~4333)と比べると、より防人たちの世界に近づいています。枕詞も少なく、表現が平易で、家持が精いっぱい防人になりきろうとしたあとが窺えます。
4398の「たらちねの」「若草の」は、それぞれ「母」「妻」の枕詞。「平らけく」は、平安であるように。「斎ふ」は、吉事を祈って禁忌を守ること。「真袖」は、両袖。「群鳥の」は「出で立つ」の枕詞。「かてに」は、しかねて。「葦が散る」は「難波」の枕詞。「さもらふ」は、天候を伺い。「はろはろに」は、はるかに遠いさま。「征矢」は、戦に用いる矢。4399の「国辺」は、故郷の辺り。4400の「寐を寝ず」は、眠らないで。
ただ、窪田空穂は、こうした歌を詠んだ家持を心優しく思いやり深い人としながらも、4398に「春霞島廻に立ちて鶴が音の悲しく鳴けば」とあるのは、防人の感傷ではなく貴族階級のものであり、気分本位の人で、防人その人の心情を理解するには限度があったことを思わせられると指摘しています。また、作家の田辺聖子も、「どうしてもインテリの技巧が目立って、防人の心の訴えの美しさとは程遠い」と言っています。