大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

生き死にの二つの海を厭はしみ・・・巻第16-3849~3850

訓読 >>>

3849
生き死にの二つの海を厭(いと)はしみ潮干(しほひ)の山を偲(しの)ひつるかも

3850
世間(よのなか)の繁(しげ)き仮廬(かりほ)に住み住みて至(いた)らむ国のたづき知らずも

 

要旨 >>>

〈3849〉生と死の二つの海が厭わしいので、潮が干上がった山(須弥山)にたどり着きたいと、いつも思い続けている。

〈3850〉世の中という、煩わしい仮の宿に住み続けながら、願い求める浄土に至ろうと思うけれど、手掛かりも知られないことだ。

 

鑑賞 >>>

 「世間の無常を厭う」歌。この2首は、かつて明日香村にあった河原寺の仏堂の中にある倭琴(やまとごと)の面に書かれていたという歌で、『 万葉集』には珍しい欣求浄土(ごんぐじょうど)の仏教思想が詠まれています。河原寺は敏達天皇の御代の創建で、飛鳥寺薬師寺大官大寺とともに「飛鳥四大寺」に数えられていたといわれます。日本古来の倭琴(6弦の琴)は本来は神前の物だったのが、この時代には仏寺の斎会にも用いられるようになったようです。また、『日本書紀』には、686年に新羅からの客をもてなすために河原寺の伎楽団を筑紫に送ったことが記されています。河原寺の僧たちも倭琴を奏でる練習をしていたのでしょうか。

 3849の「生き死にの二つの海」は現世のことで、この世の苦しみを海に譬えた「苦海(くかい)」という仏教語から来ています。「潮干の山」は、生死を解脱した涅槃の地である須弥山(しゅみせん)のことで、古代インドの世界観のなかで中心にそびえる山。3850の「仮廬」は仮に造った小屋で、現世を具象的に言ったもの。「住み住みて」は「住み」を重ねて、住み続けの意を表したもの。「至らむ国」は至るべき国で、極楽浄土。「たづき知らずも」の「たづき」は、方法、手掛かり。手掛かりが知られないことだ。これらの歌は琴への落書きとはいえ、悟りの境地に達したいと願う真摯な思いが込められており、内容も極めて高度なもので、河原寺での厳しい規律下での修行生活を窺い知ることができます。