大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

東歌(53)・・・巻第14-3549~3551

訓読 >>>

3549
多由比潟(たゆひがた)潮(しほ)満ちわたる何処(いづ)ゆかも愛(かな)しき背(せ)ろが我(わ)がり通(かよ)はむ

3550
押(お)して否(いな)と稲(いね)は搗(つ)かねど波(なみ)の穂(ほ)のいたぶらしもよ昨夜(きそ)ひとり寝

3551
阿遅可麻(あぢかま)の潟(かた)にさく波(なみ)平瀬(ひらせ)にも紐(ひも)解くものか愛(かな)しけを置きて

 

要旨 >>>

〈3549〉多由比潟に潮が満ちわたっている。いったい何処を通って愛しいあの人は私の許へ通って来るのだろうか。

〈3550〉あえて嫌だといって稲を搗いているのではないけど、心が動揺して落ち着かないのです。昨夜は独り寝だったので。

〈3551〉阿遅可麻の潟に激しく裂かれる波のように激しく迫られても、静かな瀬のように言い寄られても、下紐を解くものですか、愛しいお方をさしおいて。

 

鑑賞 >>>

 3549の「多由比潟」は、所在未詳。「何処ゆかも」は、どこを通ってか。「何処(いづ)」は「いづく」に当たる東語。「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。「かも」は、疑問の係助詞。「背ろ」の「ろ」は接尾語で、夫や恋人を親しんで呼ぶ語。「我がり」の「がり」は、~の許へ、~の所へ。「通はむ」は、通って来るだろうか。「む」は「かも」の係り結び。

 3550の「押して否と」は、あえて嫌だといって。「稲搗き」は、木製の臼に稲(籾)を入れ、脱穀するために竪杵(たてきね)で搗く作業。「波の穂」は、波がしらのことで、「波の穂の」は、波がしらが激しく動くことから「いたぶらし」に掛かる枕詞。「いたぶらし」は、心が動揺して落ち着かない。「もよ」は、詠嘆の終助詞。女が稲を搗いているところへ夫がやって来て早く寝ようと言うのに、女は嫌だと言ってなおも稲を搗いています。なぜなら、昨夜男が来ると思っていたのに来なかったのを恨んでいるからです。拗ねて稲を搗き続けていたのが、やがて言い訳として言い出したもののようです。

 一方、この「否」を、男への拒絶ではなく稲を搗くことを否定すると取り、稲搗きが嫌なわけではないが、と取る方が妥当だとする見方があります。土屋文明は、「実は稲つき労働に対する苦痛を言ひたいのだが、その労苦も、昨夜男とさへ寝て居たら、こんなには感じまいと、その方に転嫁させてゐるのである。或はさう歌ふことだけで、幾分苦痛を軽く感じさせるのであらう。性的感情によって労働苦を和げようとする典型的な、純然たる労働歌である」と言っています。

 3551の「味鴨の」は、アジカモの棲んでいる所の意で「潟」に掛かる枕詞。「潟に開く波」は、潟に裂かれる波。「潟に咲く波」として、砕ける波を咲き開く白い花に見立てる解釈もあります。上2句は「開く(さく・ひらく)」の同音で「平瀬」を導く序詞。「平瀬」は、波の静かな瀬。「紐解くものか」の「ものか」は、反語。「愛しけ」は「愛しき」の東語で、愛しい人。「置きて」は、さしおいて。なお、3句以下の解釈を「平瀬にも波が紐解くように、私も下紐を解くことなのか。愛しい人をさしおいて」のようにするものもあり、上掲の解釈だと女の歌であるのに対し、こちらの解釈だと男の歌になります。

 

 

 

巻第14の編纂者

 巻第14の編纂者が誰かについては諸説あり、佐佐木信綱は、藤原宇合不比等の第3子)が常陸守だった時に属官として仕え、東国で多くの歌を詠んだ高橋虫麻呂だとしています。ただ、東歌の編纂は、虫麻呂一人の仕事ではなく、のちにそれに手を加えた人のあることが推量され、その人を大伴家持とする説もあります。一方、この巻に常陸の作の多いことも認められるが、上野の国の歌はさらに多く、その他多くの国々の作を、常陸に在任したというだけで虫麻呂の編纂と断ずることはできないとの反論もあり、その上野国に関連して、和銅元年(708年)に上野国守となった田口益人(たぐちのますひと:『万葉集』に短歌2首)と見る説もあります。さらには、これら個人の仕事ではなく、東国から朝廷に献じた「歌舞の詞章」だという説もあります。

※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について

『万葉集』掲載歌の索引