大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

この世には人言繁し来む世にも・・・巻第4-540~542

訓読 >>>

540
我(わ)が背子(せこ)にまたは逢はじかと思へばか今朝(けさ)の別れのすべなかりつる

541
この世には人言(ひとごと)繁し来(こ)む世にも逢はむ我(わ)が背子(せこ)今ならずとも

542
常(つね)やまず通ひし君が使(つか)ひ来(こ)ず今は逢はじとたゆたひぬらし

 

要旨 >>>

〈540〉あなたにもう二度と逢うことができないと思ったせいか、今朝の別れ際には、どうしようもなく、ただぼんやりしていたことです。

〈541〉この世では人の噂がうるさくてままなりません。せめて来世にこそお逢いしましょう、今でなくとも。

〈542〉いつも絶え間なくやってきたあの方の使いが来なくなった。もう逢うまいとためらっていらっしゃるのでしょうか。

 

鑑賞 >>>

 巻第4-537~539に続き、高田女王(たかたのおおきみ)が今城王(いまきのおおきみ)に贈った歌6首のうちの3首。540の「今朝の別れ」は、昨夜逢っての朝の別れ。「すべなかり」は、どうしようもなく。541の「人言」は、人の噂。「来む世」は、来世。「今ならずとも」は、逢うのは今でなくとも。542の「常やまず」は、いつも絶えず。「通ひし君が使」は、王から女王の許へ通っていた使者。「たゆたひぬらし」の「たゆたひ」は、ためらう意。「らし」は、現在の根拠に基づく推量。
 
 これらの歌からは、女王がずいぶんと世間の噂を気にしていることが窺えます。結婚前の単なる駆け引きだったのか、それとも人目を憚るような関係だったのか。いずれにしても、恋に対する女のほうの積極さが伝わってきます。一方の今城王は、だんだんと彼女から遠ざかっていったのではないかと察せられ、542では、女王の諦めの語気が感じられる歌となっています。この後の二人の関係がどうなったかは、『万葉集』には記されていません。
 
 なお、今城王の返歌は載っていませんが、臣籍降下して大原真人今城になって後の歌が『万葉集』には9首あり(ほかに伝誦・伝読歌8首)、大伴家持と親交があったことが知られます。