訓読 >>>
1268
子らが手を巻向山(まきむくやま)は常にあれど過ぎにし人に行き巻(ま)かめやも
1269
巻向の山辺(やまへ)響(とよ)みて行く水の水沫(みなわ)のごとし世の人(ひと)我(わ)れは
要旨 >>>
〈1268〉巻向山はいつも変わらずあそこにあるが、死んでしまった妻を訪ねていって手枕を交わし、彼女を巻くことができようか、もうできない。
〈1269〉巻向山の麓を鳴り響かせて流れ行く水は、いくら激しくても、泡沫のように消えてあとかたもなくなってしまう。この世に生まれた我らも、すべてこんなふうになるのだ。
鑑賞 >>>
『柿本人麻呂歌集』から。1268の「子らが手を」は、愛しい妻の手を巻く(枕にする)意から「巻向山」の枕詞。「巻向」は、奈良県桜井市北部の地。「過ぎにし人」は、死んでしまった妻。「行き巻かめやも」は、行ってその手を枕にすることができようか、できはしないの反語。1269の「響みて」は、鳴り響いて。「行く水」は、巻向山の麓を流れる痛足川(穴師川:あなしがわ)の水。人の世の無常を水泡にたとえるのは仏説にもとづいています。亡き妻に思いを馳せつつ、人の命のはかなさを痛感して詠んだ連作で、古代文学研究者の橋本達雄はさらに、巻第7-1118・1119と一連と考えられるとしています。
※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について