大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

名草山言にしありけり・・・巻第7-1213

訓読 >>>

名草山(なぐさやま)言(こと)にしありけり我(あ)が恋ふる千重(ちへ)の一重(ひとへ)も慰(なぐさ)めなくに

 

要旨 >>>

名草山はただ名前だけの山だったよ。私の恋心の、幾重にも積もったその一つでさえも慰めてくれないのだから。

 

鑑賞 >>>

「覊旅(旅情を詠む)」歌。1213の「名草山」は、和歌山市紀三井寺がある山。紀ノ川の南岸に沿って東西に延びる龍門山系の西端に位置する標高229mの山で、山頂からは『万葉集』に詠まれた「和歌の浦」「玉津島山」「雑賀崎」が眺望できます。「言にしあり」は、名だけのことで実が伴わない。「けり」は、詠嘆。名草山の名を聞くだけで、逆にますます恋の苦しみが増してくる、と言っており、神亀元年(724年)10月の聖武天皇和歌の浦行幸に従駕した官人の歌と見られます。実のところは、優しく穏やかな名草山の佇まいに心惹かれ、旅愁を慰められたらしく、歌の内容に反して、明るく軽やかな調子で詠まれています。

 和歌の浦は、和歌山市の南西部にある景勝地で、住吉・紀ノ川が流入し、干潟や片男波砂州を形成、妹背山、鏡山、奠供山、雲蓋山、妙見山、船頭山の「玉津島山」と称された島々が海に浮かんでいました。和歌の浦の北には、玉津島神社紀州東照宮和歌浦天満宮などの吉社があります。この時の行幸では、聖武天皇は13日間も滞在し、従駕した山部赤人は、和歌の浦の名歌を残しています(巻第6-917~919)。

 

 

 

※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について