訓読 >>>
931
いさなとり 浜辺(はまへ)を清み 打ち靡(なび)き 生ふる玉藻(たまも)に 朝凪(あさなぎ)に 千重(ちへ)波寄せ 夕凪(ゆふなぎ)に 五百重(いほへ)波寄す 辺(へ)つ波の いやしくしくに 月に異(け)に 日に日に見とも 今のみに 飽き足らめやも 白波の い咲き廻(めぐ)れる 住吉(すみのえ)の浜
932
白波の千重(ちへ)に来寄(きよ)する住吉(すみのえ)の岸の埴生(はにふ)ににほひて行かな
要旨 >>>
〈931〉浜辺が清いので、ゆらゆら揺れながら生えている海藻に、朝の凪ぎには千重の波が打ち寄せ、夕べの凪ぎには五百重(いおえ)の波が打ち寄せる。その浜辺に寄せる波のように、ますます繁く月を重ね日を重ね眺めても満足できないのに、まして今だけで見飽きることなどあろうか。花のように白波の花が咲きめぐる住吉の浜。
〈932〉白波が幾重にも押し寄せる住吉の浜の黄土に、衣を美しく染めて行きたい。
鑑賞 >>>
車持千年(くるまもちのちとせ)が初めて住吉の浜に立ち、海の珍しさに強い感興を得て作った歌。題詞には書かれていませんが、笠金村が詠んだ928~930の歌と同じ時の神亀2年(725年)10月の聖武天皇の難波行幸に従駕したときのものとされます。金村が難波を総括的に褒めているのに対し、千年は住吉の浜を褒めています。
931の「いさなとり」は「浜辺」の枕詞。「清み」は、清いので。「玉藻」は、藻を称えての称。「千重波」「五百重波」は、絶えない波の表現。「いやしくしくに」は、ますます頻繁に。「異に」は、いよいよ。「飽き足らめやも」の「やも」は、反語。「い咲き」の「い」は、接頭語。「住吉の岸」は、今の大阪市住吉区、住吉大社の西に入江をなしていた住吉の浦の岸辺。現在は埋め立てられており、当時の海浜はありません。932の「来寄する」は、寄り来るの意の、上代の言い方。「埴生」は、赤黄色の粘土。「にほひて」は、染まって。「行かな」の「な」は、自身の希望、意志。当時、住吉には白砂青松の浜辺が広がり、岸辺には埴生が露出して黄色く見え、素晴らしい景観をなしていたといいます。その埴生で衣を染める鉱物染めが有名だったようです。
※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について