訓読 >>>
546
三香(みか)の原 旅の宿(やど)りに 玉桙(たまほこ)の 道の行き逢ひに 天雲(あまくも)の 外(よそ)のみ見つつ 言問(ことと)はむ 縁(よし)のなければ 心のみ 咽(む)せつつあるに 天地(あめつち)の 神(かみ)言(こと)寄せて 敷栲(しきたへ)の 衣手(ころもで)交(か)へて 己妻(おのづま)と 頼める今夜(こよひ) 秋の夜(よ)の 百夜(ももよ)の長さ ありこせぬかも
547
天雲(あまくも)の外(よそ)に見しより我妹子(わぎもこ)に心も身さへ寄りにしものを
548
今夜(こよひ)の早く明けなばすべをなみ秋の百夜(ももよ)を願ひつるかも
要旨 >>>
〈546〉三香の原の旅寝にあって、道の行きずりに出逢い、よそ目に見るばかりで、声をかけるつてもないので、心の中だけで、咽るように強く憧れていたのに、天地の神様が引き合わせて下さり、共寝をする手はずになった。私の妻となってくれると思う今夜よ、秋の夜を百も重ねた長さであってくれないものか。
〈547〉空を行く雲のようによそ目に見た時からすでに、あなたに、心も身も寄り添ってしまったよ。
〈548〉今夜が早く明けてしまってはやるせないので、秋の長夜を百も重ねた長さがほしいと、神様にお願いしました。
訓読 >>>
笠金村の歌。題詞に「神亀2年(725年)春3月、三香原の離宮に行幸のあったとき、娘子を得て作った歌」とあります。この行幸の主体は、長屋王であり、聖武天皇ではありません。旅先での男心を述べており、旅先で一夜妻を楽しむのは、ごくふつうのこととして行われました。このとき従駕した人々の中では金村は上位に位置していたらしく、夜伽の女性と寝所が用意されていたと想像されます。その夜伽の女性たちと夜を過ごす前に旅の宴が開かれ、その宴で披露されて興を盛り上げたような趣で詠まれています。
546の「三香の原」は、京都府木津川市の木津川北部の一帯で、平城宮跡から徒歩で2時間半ほどの場所。三香の原の離宮は、恭仁京遷都の以前に、すでにあった元明・聖武天皇の離宮です(所在地は未詳)。「玉桙の」は「道」の枕詞。「天雲の」は「外」の枕詞。「言問はむ」は、声をかけようとする。「縁」は、つて。「咽せつつあるに」は、強い憧れからひどく喘ぐようす。「言寄せて」は、仲を取り持って下さって。「敷栲の」は「衣」の枕詞。「ありこせぬかも」の「ぬかも」は願望で、あってくれたらよいのに。548の「すべをなみ」は、どうしようもないので。