大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

百伝ふ八十の島廻を・・・巻第9-1710~1711

訓読 >>>

1710
我妹子(わぎもこ)が赤裳(あかも)ひづちて植ゑし田を刈りて収(をさ)めむ倉無(くらなし)の浜

1711
百伝(ももづた)ふ八十(やそ)の島廻(しまみ)を漕ぎ来れど粟(あは)の小島(こしま)は見れど飽(あ)かぬかも

 

要旨 >>>

〈1710〉愛しい妻がが赤裳を泥まみれにして植えた田が、刈り入れの時期を迎えたのに、刈りとって収める倉がないという、この倉無の浜よ。

〈1711〉多くの島々を漕ぎ巡って来たけれど、粟の小島のこの景色はいくら見ても見飽きることがない。

 

鑑賞 >>>

 『柿本人麻呂歌集』から2首。ただし左注に「或いは柿本人麻呂が作といふ」とあります。1710の「ひづち」は、泥によごれて。上4句までが「倉無」を導く序詞という極端な形になっており、「旅をしている都の人(人麻呂?)が倉無という地名に出会って、その名から物語を作った」ものという見方があります。詠み手が面白がっているような歌です。「倉無の浜」は、所在未詳。1711の「百伝ふ」は、数えていって百に達する意から「八十」の枕詞。「八十」は、数の多いこと。「粟の小島」は、播磨灘のいずれの島かとされますが、未詳。

 

 

柿本人麻呂歌集』

 『万葉集』には題詞に人麻呂作とある歌が80余首あり、それ以外に『人麻呂歌集』から採ったという歌が375首あります。『人麻呂歌集』は『万葉集』成立以前の和歌集で、人麻呂が2巻に編集したものとみられています。

 この歌集から『万葉集』に収録された歌は、全部で9つの巻にわたっています(巻第2に1首、巻第3に1首、巻第3に1首、巻第7に56首、巻第9に49首、巻第10に68首、巻第11に163首、巻第12に29首、巻第13に3首、巻第14に5首。中には重複歌あり)。

 ただし、それらの中には女性の歌や明らかに別人の作、伝承歌もあり、すべてが人麻呂の作というわけではないようです。題詞もなく作者名も記されていない歌がほとんどなので、それらのどれが人麻呂自身の歌でどれが違うかのかの区別ができず、おそらく永久に解決できないだろうとされています。

 文学者の中西進氏は、人麻呂はその存命中に歌のノートを持っており、行幸に従った折の自作や他作をメモしたり、土地土地の庶民の歌、また個人的な生活や旅行のなかで詠じたり聞いたりした歌を記録したのだろうと述べています。

 また詩人の大岡信は、これらの歌がおしなべて上質であり、仮に民謡的性格が明らかな作であっても、実に芸術的表現になっているところから、人麻呂の関与を思わせずにおかない、彼自身が自由にそれらに手を加えたことも十分考えられると述べています。

各巻の概要