訓読 >>>
3366
ま愛(かな)しみさ寝(ね)に我(わ)は行く鎌倉の水無瀬川(みなのせがは)に潮(しほ)満つなむか
3367
百(もも)つ島 足柄小舟(あしがらをぶね)歩(ある)き多(おほ)み目こそ離(か)るらめ心は思(も)へど
要旨 >>>
〈3366〉あの子が愛しくてならないので共寝しに行こうと思うが、鎌倉のあの水無瀬川は、今ごろ潮が満ちていることだろうか。
〈3367〉多くの島々をめぐる足柄小舟のように、あの方は立ち寄る女が多いので、私の所には、思っていても来て下さらない。
鑑賞 >>>
相模の国(神奈川県)の歌。3366の「ま愛しみ」の「ま」は、接頭語。「さ寝」は、共寝の慣用語。「水無瀬川」は、鎌倉市の稲瀬川。3367の上2句は「歩き多み」を導く序詞。「百つ島」は、百と多くある島。「歩き多み」は、行く先が多い、つまり女の多い意。「目離る」は、疎遠になる意。
なお、「東歌」の特色の一つとして、3366の歌のように、男女の性行為を直接に意味する「寝」の語が用いられている点が指摘されており(230首中28首)、風雅を気取らないストレートな表現が、都および都周辺の歌とは大きく異なっています。自分の感情に正直な東国人の精神がなせるわざであり、そこには卑猥さも陰湿さも感じられません。
共寝の姿
(『万葉集』の歌からは)共寝の具体的な行為については少しも分からない。それは当然といえるかもしれないが、エロティックな雰囲気の歌もほとんどないし、乳房をうたったものさえない。これはむしろ異常といえるほどだ。中世初期の歌謡集『梁塵秘抄』には、男の性器そのものをうたった謡も、共寝のエロティックな雰囲気を出した謡もある。民間に伝えられる祭りや民謡には性の活力をもったものが多い。それがみられないということは、何よりも庶民の素朴な生活感情に根差した歌が収められた歌集として『万葉集』をみる見方の誤りであることを示している。そして次に、歌はきわめて儀式的なもので、性器や性行為の具体性はうたってはならないものであったことを示している。それは歌が〈共同性〉に深くかかわるものであったからだろう。恋でいえば、共寝に到る手続きだけをうたうものであり、その手続きと歌との結びつきが濃かったのである。
これは平安期の物語や日記類とも通底している。恋愛を主題にしているといってもよいぐらいに恋のことばかり描きながら、具体的な描写はほとんどない。恋愛が個別性としてではなく、儀式として描かれているからだ。仏教説話集である『日本霊異記』にはそれらの話が描かれている。吉祥天女の像に恋し、その願いが夢でかなえられて、翌朝みると、像の裾が精液で汚れていた話(中巻13話)、母が愛欲でもって子のものを口に含む話(中巻41話)、野中の堂に女たちが集まって写経しているとき、情欲が起こった経師がある女の裾をあげて後から交合してしまう話(下巻18話)など、きわめてエロティックではないか。『日本霊異記』は説教の台本といわれるが、もしそうだとすると、仏教の布教にこのようなエロティックな話が語られていたことになる。性の話は世界的に普遍的で、人びとに受け容れられやすいものだからだ。
すると歌はそれらの具体性を排除して成り立っているといわざるをえない。繰り返しになるが、歌は恋の儀式、つまり〈共同性〉としての恋に深くかかわるものだったからとしか、その理由を考えられない。恋のこういう場合ではこういう歌を詠むという儀式があったのである。
~『古代の恋愛生活』/古橋信孝著(NHKブックス)から引用