訓読 >>>
3260
小冶田(をはりだ)の 年魚道(あゆぢ)の水を 間(ま)なくそ 人は汲(く)むといふ 時(とき)じくそ 人は飲むといふ 汲む人の 間(ま)なきがごと 飲む人の 時じきがごと 我妹子(わぎもこ)に 我(あ)が恋ふらくは 止(や)む時もなし
3261
思ひ遣(や)るすべのたづきも今はなし君に逢はずて年の経(へ)ゆけば
3262
瑞垣(みづがき)の久しき時ゆ恋すれば我(わ)が帯(おび)緩(ゆる)ふ朝宵(あさよひ)ごとに
要旨 >>>
〈3260〉小治田の年魚道の湧き水を、絶え間なく人は汲むという。時となく人は飲むという。汲む人が絶え間ないように、飲む人が休みないように、愛しいあの子への恋は止むときがない。
〈3261〉胸の思いを晴らす手段の手がかりさえも今はない。あの方に逢わないまま年が過ぎてゆくので。
〈3262〉ずっと以前から恋い焦がれているので、次第に痩せて、私の帯はゆるくなっていく。朝夕ごとに。
鑑賞 >>>
3260の「小冶田」は「小墾田」とも書き、明日香村飛鳥の近くの地。「年魚道」は、年魚への道。「年魚」は、明日香村の東の八釣、山田付近か。「時じきがごと」の「時じく」は、時の区別なく、常に。「恋ふらく」は「恋ふ」の名詞形。小治田の年魚道の湧き水は名水だったらしく、それに託して片恋に悩みを詠んだ男の歌です。3261は女が男の疎遠を投げした歌で、「思ひ遣る」は、思いを晴らす。「すべ」は手段、「たづき」は手がかり。同意語を重ねて強めているもの。3262は「或る本の反歌に曰く」とある歌。「瑞垣の」の「瑞垣」は神社の垣のことで、昔から久しくはある意で「久しき」に掛かる枕詞。「久しき時ゆ」は、久しい間を、ずっと以前から。
なお、3261の左注には、男の長歌に3261の女の反歌がついているところから、「今考えてみると、この反歌に『君に逢はず』というのは当たらない。『妹に逢はず』と言うべき」とあります。しかし、妹を君の敬称で呼んでいる例は他に少なくなく、この左注の指摘は必ずしも当たってはいません。女の独立した歌が何らかの理由で添えられたとみられますが、あるいは、あくまで男の歌と見て、「妹」を「君」と呼ぶ東国の方言的な用法があったのではという見方もあります。また3262は、長歌とは結びつかない歌であり、詠み方も大きく乖離があるものです。