訓読 >>>
2859
明日香川(あすかがは)高川(たかかは)避(よ)きて来(こ)しものをまこと今夜(こよひ)は明けずも行かぬか
2860
八釣川(やつりがは)水底(みなそこ)絶えず行く水の継(つ)ぎてぞ恋ふるこの年ころを [或本歌曰 水脈(みを)も絶えせず]
要旨 >>>
〈2859〉明日香川の水量が増したのを避けて、遠く回り道をしてやって来たのだから、本当に今夜ばかりは明けないままでいてくれないものか。
〈2860〉八釣川の川底を絶えることなく流れる水のように、ずっと恋い焦がれています。ここ何年もの間を。(川筋も絶えずに)
鑑賞 >>>
「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。ここの2首は、河に寄せての歌。2859の「高川」は、水面が高くなった川の意。「まこと」は、本当に。2860の上3句は「継ぎて」を導く序詞。「継ぎて」は、続いて。「八釣川」は、桜井市に発し明日香村の八釣山麓を流れる川。「水脈」は、水の流れる筋、川筋。
2859は、女が男の苦労を察して、感謝の気持ちをうたった歌、2860は、男が求婚の意を、初めて女に訴えた形の歌です。
略体歌について
『万葉集』に収められている『柿本人麻呂歌集』の歌は360首余ありますが、そのうち210首が「略体歌」、残り150首が「非略体歌」となっています。「非略体歌」とは、「乃(の)」や「之(が)」などの助詞が書き記されているスタイルのものをいい、助詞などを書き添えていないものを「略体歌」といいます。
たとえば巻第11-2453の歌「春柳(はるやなぎ)葛城山(かづらきやま)に立つ雲の立ちても居(ゐ)ても妹(いも)をしぞ思ふ」の原文は「春楊葛山発雲立座妹念」で、わずか10文字という、『万葉集』の中でも最少の字数で表されています。
このような略体表記の歌の贈答(相聞往来)が実際になされたとすると、お互いに誤読や誤解釈のリスクがあったはずです。その心配がなかったとすれば、男女双方の教養が、同化して一体のレベルにあり、省略した表記を、双方が十分理解できていたことになります。一方で、秘密の書簡往来を行っていた証で、他者からの読解を防いでいたということなのかも知れません。後で人麻呂が歌を編集したときのの独特な表記方法だとみる解釈があるものの、非略体表記も存在しているので、説得力に乏しく、略体歌の存在は今も謎となっています。