大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

外目にも君が姿を見てばこそ・・・巻第12-2883~2887

訓読 >>>

2883
外目(よそめ)にも君が姿(すがた)を見てばこそ我(あ)が恋やまめ命(いのち)死なずは
[一には『命に向ふ我が恋やまめ』といふ ]

2884
恋ひつつも今日(けふ)はあらめど玉櫛笥(たまくしげ)明けなむ明日(あす)をいかに暮らさむ

2885
さ夜(よ)更けて妹(いも)を思ひ出(い)でしきたへの枕(まくら)もそよに嘆きつるかも

2886
人言(ひとごと)はまこと言痛(こちた)くなりぬともそこに障(さは)らむ我(わ)れにあらなくに

2887
立ちて居(ゐ)てたどきも知らず我(あ)が心(こころ)天(あま)つ空なり地(つち)は踏めども

 

要旨 >>>

〈2883〉遠目にもあなたのお姿を見ることができたなら、私の恋心は止むでしょう、命が絶えずにいたならば。(命がけの私の恋心もおさまるでしょう)

〈2884〉恋い焦がれつつも今日は何とか過ごせましょうが、一夜明けた明日はどうやって暮らしたらよいのでしょうか。

〈2885〉夜ふけにあの子を思い出して眠れず、枕がきしむほどに身もだえして嘆いている。

〈2886〉人の噂は確かにうるさくなってきたが、そんなことに妨げられる私ではないのに。

〈2887〉落ち着かなくて立ったりすわったりして、どうしてよいか分からず、私の心はまるで空にあるようです。地を踏んではいるのですけど。

 

鑑賞 >>>

 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2883の「我が恋やまめ」の「め」は「こそ」の結で、わが恋は止もう。2884の「玉櫛笥」は、蓋を開ける意で「明け」の枕詞。2885の「しきたへの」は「枕」の枕詞。「そよ」は、物が触れ合う音。2886の「言痛く」は、うるさく、わずらわしく。2887の「立ちて居て」は、立ったり座ったりして。「たどき」は、手段。2888の「日を多み」は、日が多いので。

 

 

 

戸籍制度

 戸籍の作成は、古くは大化2年(646年)から白雉3年(652年)のころに始められたといいますが、もっともこれは確実ではなく、確かなものとしては、天智天皇9年(670年)のそれが最初です。当時は6年ごとに新しい戸籍を作って、中央政府に提出するよう命じられました。その目的は、これによって郷(ごう)や里の制度を整え、課税制度を確定させるものでした。郷とは郡の下の単位で、三里程度を一郷とし、一里は50戸をもって編成しますから、今日でいう村が郷、字(あざ)が里に当たりますが、その大きさは多少違っていました。というのは、同じ戸でも郷戸と房戸とがあり、一戸の郷戸の戸主のもとに何戸かの房戸が付属していたため、50戸といっても50軒の家屋があったわけではありません。そして、50戸の責任者が里長、さらに三里全体の責任者が郷長とよばれ、家々が組織化されました。

各巻の概要