大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

東歌(60)・・・巻第14-3481~3483

訓読 >>>

3481
あり衣(きぬ)のさゑさゑしづみ家(いへ)の妹(いも)に物言はず来(き)にて思ひ苦しも

3482
韓衣(からころも)裾(すそ)のうち交(か)へ逢はねども異(け)しき心を我(あ)が思はなくに
[或本の歌に曰く]
韓衣(からころも)裾(すそ)のうち交(か)ひ逢はなへば寝なへのからに言痛(ことた)かりつも

3483
昼解けば解けなへ紐(ひも)の我(わ)が背(せ)なに相(あひ)寄るとかも夜(よる)解けやすけ

 

要旨 >>>

〈3481〉旅立ちの騒がしさが鎮まって、こうして旅立って来たが、家の妻にろくに物も言わずに出てきてしまい、胸が苦しい。

〈3482〉韓衣の裾の合せ目が合わせられないように、あなたに逢わないでいますが、決してほかの男に心惹かれているわけではありません。

〈3483〉昼間に解こうとしても解けない着物の紐も、あなたに逢える兆しなのか、夜になると解けやすいことだ。

 

鑑賞 >>>

 3481の「あり衣」は、鮮やかな衣。「あり衣の」は、衣ずれの音がさわさわする意で「さゑさゑ」に掛かる枕詞。「さゑさゑしづみ」は語義未詳ながら、旅立ちの騒がしさが鎮まっての意か。唐突な別れの歌であることなどから、防人の歌ではないかとの見方があります。左注に「柿本人麻呂歌集に出ている。上に見えていることが、すでに見た通りである」の意の説明があり、巻第4-503の「珠衣のさゐさゐしづみ家の妹に物語はず来て思ひかねつも」の類歌を指しています。巻第4の歌は「柿本人麻呂の歌」と題しており、伝誦のうちに小異を生じたとみえますが、人麻呂の歌が東国にも流布していたのでしょうか、それとも人麻呂が東国の歌を中央の歌に仕立て直したのでしょうか。

 3482の「韓衣」は、渡来人の着た唐風の着物で、袖が広く、膝丈より長い裾を合わせずに着ました。「裾のうち交へ」は、着物の裾の合わせ目。ここまでの2句は「逢はねども」を導く譬喩式序詞。「異しき心」は、変わった心、浮気心。「思はなくに」の「なくに」は、ないことだ。

 3483の「解けなへ」は、解けない。「背な」の「な」は、親しみを表す接尾語。「相寄るとかも」は、逢える前兆なのか。「解けやすけ」は「解けやすき」の東語。衣の紐が自然に解けるのは、相手に思われているからであり、思う人に逢える前兆であるという信仰を踏まえています。

 

 

 

「妹」と「児」の違い

 「妹」は、男性が自分の妻や恋人を親しみの情を込めて呼ぶ時の語であり、古典体系には「イモと呼ぶのは、多く相手の女と結婚している場合であり、あるいはまた、結婚の意志がある場合である。それほど深い関係になっていない場合はコと呼ぶのが普通である」とあります。しかし、「妹」と「児」とを、このように画然と区別できるかどうかは、歌によっては疑問を感じるものもあります。ただ、大半で「妹」が「児」よりも深い関係にある女性を言っているのは確かでしょう。

 また、例外的に自分の姉妹としての妹を指す場合もあり(巻第8-1662)、女同士が互いに相手を言うのに用いている場合もあります(巻第4-782)。

『万葉集』掲載歌の索引

「東歌」について