大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

父母に知らせぬ子ゆゑ・・・巻第13-3295~3296

訓読 >>>

3295
うちひさつ 三宅(みやけ)の原ゆ 直土(ひたつち)に 足踏み貫(ぬ)き 夏草を 腰になづみ いかなるや 人の子ゆゑぞ 通(かよ)はすも我子(あご) うべなうべな 母は知らじ うべなうべな 父は知らじ 蜷(みな)の腸(わた) か黒(ぐろ)き髪に 真木綿(まゆふ)もち あざさ結(ゆ)ひ垂(た)れ 大和の 黄楊(つげ)の小櫛(おぐし)を 押(おさ)へ刺す うらぐはし子 それそ我(わ)が妻

3296
父母(ちちはは)に知らせぬ子ゆゑ三宅道(みやけぢ)の夏野の草をなづみ来るかも

 

要旨 >>>

〈3295〉三宅の原を、裸足で地面を踏み抜きながら、夏草を腰にからませて悩みながら、いったいどこのどなたの娘のために通って行くのか、わが息子。なるほどいかにもお母さんはご存じあるまい、なるほどいかにもそのお父さんはご存じあるまい。蜷の腸のような黒い髪に、木綿の緒でアザサの花を結わえて垂らし、大和の黄楊の櫛を挿している、とてもきれいで素敵な娘、その娘が私の相手なのだ。

〈3296〉父や母にはうち明けられないあの娘のために 草深い三宅の夏野を苦労してここまでやって来たのだ。

 

鑑賞 >>>

 長歌の前半は両親から息子への問いかけ、後半が息子が答える問答の構成になっています。「うちひさす」は「三宅」の枕詞。「三宅の原」は、奈良県磯城郡三宅町あたり。「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。~を通って。「直土」は、地べた。「なづみ」は、難渋する。「人の子」は、ここでは親の監視の厳しい娘を表す語。「通はす」は「通ふ」の敬語。「我子」は、息子への呼びかけ。「うべな」は、なるほど、いかにも。「蜷の腸」の「蜷」は巻貝で、腸が黒いことから「か黒き」にかかる枕詞。「あざさ」は、リンドウ科の多年生水草。「うらぐはし」は、美しくすばらしい。通常は風景や自然の美しさをいうときに用いられ、「子」の形容に使うのは異例とされます。反歌で、父母にも打ち明けられなかったと言っているのは、娘の両親には認められない男女関係だったのでしょうか。

 なお、「みやけ」は、御料地の稲穀を収める倉庫の意の「屯倉」で、朝廷の直轄とされました。この辺りは、当時穀倉地帯だったとされます。

 

 

『万葉集』掲載歌の索引

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