訓読 >>>
3390
筑波嶺(つくはね)にかか鳴く鷲(わし)の音(ね)のみをか泣きわたりなむ逢(あ)ふとはなしに
3391
筑波嶺(つくはね)に背向(そがひ)に見ゆる葦穂山(あしほやま)悪(あ)しかる咎(とが)もさね見えなくに
3392
筑波嶺(つくはね)の岩もとどろに落つる水よにもたゆらに我(わ)が思はなくに
要旨 >>>
〈3390〉筑波山で「かか」と鳴き立てる鷲のように、私はただ泣き続けることでしょう。あなたに逢うこともなく。
〈3391〉筑波山の後ろに見えるのは足尾山、その名のように悪しと思える欠点など、あの子にはちっともありはしないのに。
〈3392〉筑波嶺の岩もとどろくばかりに流れ落ちる水のように、私たちの仲が絶えるなどとは思わない。
鑑賞 >>>
常陸の国(茨城県)の歌。3390の「かか」は擬声語。上2句は「音のみをか泣きわたり」を導く譬喩式序詞。「鷲」について、東光治『続万葉動物考』は、この鷲はたぶんイヌワシだろうと推定し、次のように記しています。「猛禽類は群棲することなく、殊に鷲は大抵一羽だけでいつまでも一ヵ所に静止し、時々寂しさうな声で、カッ、カッと鳴くものであるから、思ふ人に会はれず一人して悲しみ泣くといふ歌には誠に相応しい序詞である。この歌を解するには是非この点までも考慮して戴きたいものである」。「音のみ泣く」は、泣きに泣く、大声で鳴き散らす意の熟語。「逢ふとはなしに」は、逢うことはなく。
3391の「背向に見ゆる」は、後ろの方に見える。「葦穂山」は、筑波山の北北東にある足尾山。上3句は、同音反復で「悪し」を導く序詞。「悪しかる咎」は、悪いと思われるところ。「さね」は下に打消の語を伴い、ちっとも、決して。「なくに」の「に」は、逆説的意味を込めた詠嘆。自分の恋人のことを他人が悪く言ったのを聞いて反発した歌、あるいは世話好きの媒介役の人が、「いい娘でしょう。思い切って声をかけてみたら」と口利きしている歌でしょうか。そうだとしたら、「背向に見ゆる」の描写に、どことなく地味な人柄が暗示されます。
3392の「岩もとどろに」は、岩もとどろくばかりに。「落つる水」は、男体・女体二峰から流れ出る男女(みなの)川を指しているかもしれません。上3句は「たゆらに」を導く譬喩式序詞。「世にも・・・なくに」は、決して・・・ないことだ。「たゆらに」は、ここでは「絶えるように」の意としましたが、物や気持ちがゆれ動いて定まらないさまの意とする説もあり(3368の「たよらに」と同じ)、それによると「揺れる思いなど決して私は持っていない」との解釈になります。いずれの場合も、相手に疑われたのに答えた誓約の歌とされます。