訓読 >>>
1412
吾(わが)背子を何処(いづく)行かめとさき竹の背向(そがひ)に宿(ね)しく今し悔しも
1413
庭つ鳥(とり)鶏(かけ)の垂(た)り尾の乱れ尾の長き心も思ほえぬかも
要旨 >>>
〈1412〉私の夫が、どこへも行くはずはないと思って、生前につれなくして後ろを向いて寝たりして、今となっては悔しくてならない。
〈1413〉鶏の垂れた尾のように乱れていて、ゆったりした気分になど、とてもなれそうにありません。
鑑賞 >>>
「挽歌」で、夫を悼む妻の歌。1412の「何処行かめと」の「め」は「む」の已然形で、反語。どこへ行こうか、行きはしまい。「さき竹の」は、割った竹は重ねてもしっくりしないところから、後ろ向きの意の「背向」の枕詞。「宿しく」は、ク語法による名詞形。「今し」の「し」は、強意の副助詞。夫婦が言い争った後の行為だったのでしょうか、それを思い出して悔やんでいます。
なお、巻第14の東歌のなかに「愛し妹をいづち行かめと山菅のそがひに寝しく今し悔しも」(3577)という似た歌があり、これについて斎藤茂吉は「巻七の方が優っている。巻七の方ならば人情も自然だが、巻十四の方はやや調子に乗ったところがある。おもうに、巻七の方はまだ個人的歌らしく、つつましいところがあるけれども、それが伝誦せられているうち民謡的に変形して巻十四の歌となったものであろう」と言っています。
1413の「庭つ鳥」は、庭の鳥という意味で「鶏」の枕詞。ニワトリという呼び名はここから生じたと考えられています。当時の「鶏」は「かけ」と呼ばれており、鳴き声に由来するとされます。「垂り尾」は、尾羽。上3句が「長き」に続く譬喩式序詞。「長き心」は、気長でのんびりした気持ちと解釈する説もあります。
挽歌
挽歌は『万葉集』の部立の一つで、死者の歌や辞世の歌、葬送の歌、病中の歌など、人の死に関わる歌のことです。日本の古典文学の中では、『万葉集』にのみ用いられており、『古今集』以降の勅撰集では「哀傷歌」となっています。元は中国の詩文集『文選』の分類に拠ったものらしく、本来は死者を葬る時に柩(ひつぎ)を挽く者がうたう歌の意味です。人麻呂の時代に最も盛んに作られ、人麻呂は、皇子や皇女が亡くなった時に求められて、殯宮(ひんきゅう)挽歌を多く詠んでいます。
※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について