大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

住吉の小田を刈らす子・・・巻第7-1275~1276

訓読 >>>

1275
住吉(すみのえ)の小田(をだ)を刈らす子(こ)奴(やつこ)かもなき 奴あれど妹がみためと私田(わたくしだ)刈る

1276
池の辺(へ)の小槻(をつき)の下の細竹(しの)な刈りそね 其(それ)をだに君が形見に見つつ偲(しの)はむ

 

要旨 >>>

〈1275〉「住吉の田を刈っているそこのお若いの、働かせる奴(やっこ)はいないのかね」「奴はいますが、でも今は愛する人のためと思い、私自身で刈っているのです」

〈1276〉池のほとりに生えているけやきの木のかげの篠は刈らないでください。それだけでも、あなたの形見として見て偲びたいから。

 

鑑賞 >>>

 『柿本人麻呂歌集』から、旋頭歌(5・7・7・5・7・7)2首。1275の「小田」の「小」は、接頭語。「刈らす」は「刈る」の敬語。「子」は、親しみを持って若い男や女を呼ぶ語で、多くは女への愛称ですが、ここでは稲を刈る青年を指しています。「奴」は、個人の家に隷属している下部(しもべ)。「私田」は、私有の田地。位田、賜田、口分田、墾田など。公の許可を得て開墾した田は、一定期間その人の私有とすることができました。ただし、それができるのは有力者で、そのような家には奴もいました。この歌は、通りかかった人が、身分ある若い人が自ら稲苅りをしているのを見て、奴はいないのかと訝かりながら問いかけた片歌と、それに対して、恋人の為に、奴を使わず自分がしているのだと答えた若い人との片歌を組み合わせ、その問答を一首としている戯笑歌です。

 1276の「小槻が下」の「小」は接頭語で、けやきの木の下のかげ。けやきは神聖な樹木で、斎槻(ゆつき)とも呼ばれます。「な~そね」は、~しないでほしい。「其れをだに」は、それだけでも。「形見」は、近くにいない人の身代わりに見る物。池の辺の細竹を形見にするというのは、それまで人目を避けて密会したことの記念にするという意味です。男に逢えなくなったのは、疎遠になったのか、遠くに去ったのか、あるいは死んだのか、その理由は分かりません。

 

 

 

柿本人麻呂歌集』

 『万葉集』には題詞に人麻呂作とある歌が80余首あり、それ以外に『人麻呂歌集』から採ったという歌が375首あります。『人麻呂歌集』は『万葉集』成立以前の和歌集で、人麻呂が2巻に編集したものとみられています。

 この歌集から『万葉集』に収録された歌は、全部で9つの巻にわたっています(巻第2に1首、巻第3に1首、巻第3に1首、巻第7に56首、巻第9に49首、巻第10に68首、巻第11に163首、巻第12に29首、巻第13に3首、巻第14に5首。中には重複歌あり)。

 ただし、それらの中には女性の歌や明らかに別人の作、伝承歌もあり、すべてが人麻呂の作というわけではないようです。題詞もなく作者名も記されていない歌がほとんどなので、それらのどれが人麻呂自身の歌でどれが違うかのかの区別ができず、おそらく永久に解決できないだろうとされています。

 文学者の中西進氏は、人麻呂はその存命中に歌のノートを持っており、行幸に従った折の自作や他作をメモしたり、土地土地の庶民の歌、また個人的な生活や旅行のなかで詠じたり聞いたりした歌を記録したのだろうと述べています。

 また詩人の大岡信は、これらの歌がおしなべて上質であり、仮に民謡的性格が明らかな作であっても、実に芸術的表現になっているところから、人麻呂の関与を思わせずにおかない、彼自身が自由にそれらに手を加えたことも十分考えられると述べています。

『万葉集』掲載歌の索引