訓読 >>>
あさもよし紀人(きひと)羨(とも)しも真土山(まつちやま)行き来(く)と見らむ紀人羨しも
要旨 >>>
紀伊の人が羨ましい。都を往き来するたびに、真土山を見られる紀伊の人が羨ましい。
鑑賞 >>>
大宝元年(701年)9月、持統太上天皇の紀伊国行幸に従駕して詠まれた歌。作者の調首淡海は(つきのおびとあふみ)は、壬申の乱の功臣で、天武天皇が近江の都を去る最初からの従者であり、天皇が吉野を発つ時にも供奉した舎人20有余人の中に名を連ねています。和銅2年(709年)に従五位下、養老7年(723年)に正五位上に進み、亀神4年(727年)に高齢を称せられました。祖は百済よりの帰化人とされます。『万葉集』には、この1首のみ。
「あさもよし」は「麻裳よし」で、麻は紀伊の特産だったところから「紀伊」に掛かる枕詞。「よし」は、詠嘆の助詞。「紀人」は、紀州の人。「羨し」は、うらやましい。「も」は、感嘆の助詞。「真土山」は、大和と紀伊の国境にある山。北側の真土峠は紀州街道の要所にあり、飛鳥からの旅人は、この山を越えると異国に足を踏み入れることになります。ちょうど一泊目の地でもあり、歌が多く、8例に及びます。