訓読 >>>
3348
夏麻(なつそ)引く海上潟(うなかみがた)の沖つ洲(す)に船は留(とど)めむさ夜ふけにけり
3349
葛飾(かづしか)の真間(まま)の浦廻(うらみ)を漕(こ)ぐ船の船人(ふなびと)騒(さわ)く波立つらしも
要旨 >>>
〈3348〉海上潟の沖の砂州に、この舟を留めて休もうか、夜もとっぷり更けてきた。
〈3349〉葛飾の真間の入江を漕いで進む船の船人がせわしく動き回っている。波が立ってきたらしい。
鑑賞 >>>
3348は上総の国(千葉県中部)の歌。「夏麻引く」の「夏麻」は、夏の土用のころに畑から引き抜く麻。夏麻は「績(う)む(つむぐ)」ものであることから、同音で「海上(うなかみ)」にかかる枕詞。「海上潟」は、千葉県市原市付近の干潟。「沖つ洲」は、沖の方にある洲。「つ」は、上代のみに用いられた古い連体格助詞。この歌は、とくに身分のある舟行者の歌ではないものの、詠み方は京風で、歌作に長けた人の作とみられています。最初から京の人の作であったか、あるいは地方の歌がたまたま京で謡われて洗練されたものかは分かりません。国文学者の佐佐木幸綱は、東国人が都人の口ぶりを真似てつくった歌なのではないかとも言っています。また、この歌がなぜ巻第14の巻頭に置かれたのかについての議論もあるようですが、ここでは割愛します。
3349は下総の国(千葉県北部から茨城県南部)の歌。「葛飾の真間の浦廻」は、千葉県市川市真間町付近の海。当時は入江になっていたようです。「葛飾」という地名は、東京都葛飾区、埼玉県北葛飾郡、またかつて千葉県東葛飾郡とあったように、江戸川流域の広大な地域を言い、東歌では「かづしか」とにごっています。なお、現在は江戸川が千葉県と東京都の境になっていますが、古代には東京都の葛飾区も下総国の葛飾郡に属していました。東京都の隅田川にかかる橋を今も両国橋といっていますが、これは下総国と武蔵国の境にかかることからついた名です。「騒く」は、せわしなく動き回っている。「波立つらしも」の「らし」は、根拠に基づく推定。「も」は、詠嘆。この歌も、地名のほか、地方色は皆無です。類歌が数首あり、地名を変えて詠い継がれてきたようです。
巻第14と東歌について
巻第14は「東国(あづまのくに)」で詠まれた作者名不詳の歌が収められており、巻第13の長歌集と対をなしています。国名のわかる歌とわからない歌に大別し、それぞれを部立ごとに分類しています。当時の都びとが考えていた東国とは、おおよそ富士川と信濃川を結んだ以東、すなわち、遠江・駿河・伊豆・相模・武蔵・上総・下総・常陸・信濃・上野・下野・陸奥の国々をさしています。『万葉集』に収録された東歌には作者名のある歌は一つもなく、また多くの東国の方言や訛りが含まれています。
もっともこれらの歌は東国の民衆の生の声と見ることには疑問が持たれており、すべての歌が完全な短歌形式(五七五七七)であり、音仮名表記で整理されたあとが窺えることや、方言が実態を直接に反映していないとみられることなどから、中央側が何らかの手を加えて収録したものと見られています。また、東歌を集めた巻第14があえて独立しているのも、朝廷の威力が東国にまで及んでいることを示すためだったとされます。