大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

防人の歌(45)・・・巻第20-4347~4348

訓読 >>>

4347
家にして恋ひつつあらずは汝(な)が佩(は)ける大刀(たち)になりても斎(いは)ひてしかも

4348
たらちねの母を別(わか)れてまこと我(わ)れ旅の仮廬(かりほ)に安く寝(ね)むかも

 

要旨 >>>

〈4347〉家で恋しく思っているのではなく、お前が腰に帯びる大刀、せめてその太刀にでもなってそばで見守ってやりたい。

〈4348〉母と離れて、本当に私は旅の仮寝で安らかに寝ることができるのだろうか。

 

鑑賞 >>>

 上総国の防人の歌。作者は、4347が国造丁(くにのみやっこのよぼろ)日下部使主三中(くさかべのおみみなか)の父。国造丁は、国造の家の使用人のこと。4348が日下部使主三中

 4347の「恋ひつつあらずは」は、恋い続けていずに。「大刀になりても」の「も」は、せめて~だけなりとも、の意で用いたもの。「斎ひてしかも」の「斎ひ」は、神を祀ることですが、ここでは転じて守護する意。「てしか」は、願望。父親による歌は、防人歌の中でこの1首のみです。窪田空穂は、「歌は一時期前の京の歌と異ならないものである。国造の家なので、相応に教養があったためと思われる」と述べています。

 4348の「たらちねの」は「母」の枕詞。「まこと」は、本当に。「仮廬」は、旅先で夜の寝所として造る小屋。「安く寝むかも」の「かも」は反語で、安らかに寝られようか、寝られない。母の安否を気遣うというより、母と一緒にいられない寂しさを訴える、どこか甘えん坊のような感触の残る歌です。窪田空穂は、「庶民の中の貴族のような風のある歌」と言っています。

 防人歌には、父母や妻子を思う歌が数多くあります。一方、王朝の歌では、親への慕情を詠うものは極めてまれであり、平安期以降の旅の歌に、父母を思う作はほとんど見られなくなっています。人の心の最たる「まこと」であるはずなのに、雅(みやび)の世界にはふさわしくないとされたのでしょうか。

 

 

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