大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

東歌(65)・・・巻第14-3538~3540

訓読 >>>

3538
広橋(ひろはし)を馬越しがねて心のみ妹(いも)がり遣(や)りて我(わ)はここにして
[或本の歌の上二句] 小林(をはやし)に駒(こま)を馳ささげ

3539
崩岸(あず)の上に駒(こま)を繋(つな)ぎて危(あや)ほかど人妻(ひとづま)子ろを息(いき)に我(わ)がする

3540
左和多里(さわたり)の手児(てご)にい行き逢ひ赤駒(あかごま)が足掻(あが)きを速み言(こと)問はず来ぬ

 

要旨 >>>

〈3538〉馬が広い橋を越えかねるように、心はあの子の許へ行かせるけれど、我が身は行きかねて逡巡としている。

〈3539〉今にも崩れそうな崖の上に馬をつなぐのが危なっかしいように、人妻のあの子を心にかけるのは危なっかしいけれど、命がけで思っている。

〈3540〉評判の左和多里(さわたり)の美少女にたまたま行き合ったが、乗る馬の足が速かったので、声もかけずに通りすぎてしまった。

 

鑑賞 >>>

 3538の「広橋」は、幅の広い橋で、普通名詞。「馬越しがねて」は、馬で越すことができなくて。おそらくは人目を憚って越せないのを馬に転化しているのでしょう。「心にみ」は、気持ちだけは。「妹がり遣りて」は、妻のもとに遣って。「我はここにして」は、我が身はここにあって。女に贈った歌であり、疎遠にしている言い訳です。なお、左注には、或る本の発句には「小林に駒を馳(は)ささげ」というとあり、「林の中に馬を走り込ませてしまって」という意味になります。何のかんのと言い訳をしている不実な男です。

 3539の「崩岸」は、今にも崩れそうな崖の意の東語。上2句は「危ほか」を導く譬喩式序詞。「危ほかど」は「危ふけど」の東語。「息に我がする」の「息」は「息の緒」と同じで「命」の意。「息に我がする」は、連体形止めの詠嘆終止で、命がけで私は思っている。「息」は、魂(生命力)の具体的な活動として意識されていたので、このような表現がなされます。人妻との密通の不安とあきらめきれない思いとが強く交錯しており、このような痛切な思いの直接的な吐露は、東歌ならではの表現です。

 3540の「左和多里」の所在は未詳ながら、群馬県吾妻郡の沢渡温泉茨城県水戸市佐渡福島県いわき市の沢渡などの地名があります。「手児」は、美少女の愛称。「い行き」の「い」は接頭語で、ばったり出逢ったが。「足掻き」は、蹴立てるような馬の足の運び。「速み」は「速し」のミ語法で、速いので。「言問はず来ぬ」は、物を言わずに来た。男性集団の戯笑歌とされますが、窪田空穂は、「手児に関係をもっている男の心残りの歌である。叙事的な歌なので、淡いながらもその際の情景を浮かばせる歌である。こうした些事を詠んだ歌が、広く謡われていたということは、健康で、明るく、日常生活をたのしんでいたことを示していることである」と述べています。

 

 

 

ミ語法

 「ミ語法」とは、形容詞の語幹に語尾「み」を接続した語形を用いる語法。その意味は、「を」を伴うものは「を」が主格を表わし、「み」が原因や理由を表わすと考えられています。現存する文献の用例の大部分は『万葉集』であり、 上代以前に広く用いられたと考えられています。 中古以降は、擬古的表現として和歌にわずかに用いられました。

『万葉集』掲載歌の索引

【為ご参考】万葉仮名