訓読 >>>
2403
玉久世(たまくせ)の清き川原(かはら)に身禊(みそぎ)して斎(いは)ふ命(いのち)は妹(いも)がためこそ
2404
思ひ寄り見ては寄りにしものにあれば一日(ひとひ)の間(あひだ)も忘れて思へや
2405
垣(かき)ほなす人は言へども高麗錦(こまにしき)紐(ひも)解き開(あ)けし君ならなくに
要旨 >>>
〈2403〉美しいの久世川の清らかな川原でみそぎをして忌み慎む我が命は、みんな彼女のためなのだ。
〈2404〉心ひそかに思いを寄せ、さらに逢って心が寄っていったのだから、一日としてあなたを忘れたりするものか。
〈2405〉垣根のように寄ってたかって噂が立っていますが、まだ高麗錦の紐を解いて共寝したお人というわけではないのに。
鑑賞 >>>
『柿本人麻呂歌集』から「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」3首。2403の「玉久世」の「玉」は美称で、久世川のこと。久世川は、京都府の久世の地を流れる木津川。久世は2362の歌でも歌われており、渡来系の人も住んでいた高度な文化地帯だったとされます。「身禊して」は、流れる水で身を清めて。「斎ふ命は」は、忌み慎み無事を願う我が命は。久世の地を訪れた旅人が、清らかな久世川の河原を見て、妻を思う心から我が身を無事に保とうと思い、その河原で身禊をしようという歌です。
2404の「思ひ寄り」は、相手に思いが寄っていき。「見ては寄りにしものにあれば」は、関係を結んでさらに思いが寄っていったので。「忘れて思へや」の「や」は反語で、忘れていようか、忘れはしない。2405の「垣ほなす」は、垣のように取り囲んで。「高麗錦」は、高麗から渡来した高級な錦で、衣の紐とされたことから「紐」にかかる枕詞。「紐解き開けし」は、身を許して関係を結んだことを具体的に言ったもの。「君ならなくに」の原文「公無」で、キミナケナクニ、キミニアラナクニなどと訓むものもあります。
『万葉集』以前の歌集
■『古歌集』または『古集』
これら2つが同一のものか別のものかは定かではありませんが、『万葉集』巻第2・7・9・10・11の資料とされています。
■『柿本人麻呂歌集』
人麻呂が2巻に編集したものとみられていますが、それらの中には明らかな別人の作や伝承歌もあり、すべてが人麻呂の作というわけではありません。『万葉集』巻第2・3・7・9~14の資料とされています。
■『類聚歌林(るいじゅうかりん)』
山上憶良が編集した全7巻と想定される歌集で、何らかの基準による分類がなされ、『日本書紀』『風土記』その他の文献を使って作歌事情などを考証しています。『万葉集』巻第1・2・9の資料となっています。
■『笠金村歌集』
おおむね金村自身の歌とみられる歌集で、『万葉集』巻第2・3・6・9の資料となっています。
■『高橋虫麻呂歌集』
おおむね虫麻呂の歌とみられる歌集で、『万葉集』巻第3・8・9の資料となっています。
■『田辺福麻呂歌集』
おおむね福麻呂自身の歌とみられる歌集で、『万葉集』巻第6・9の資料となっています。
なお、これらの歌集はいずれも散逸しており、現在の私たちが見ることはできません。