訓読 >>>
3494
子持山(こもちやま)若(わか)かへるでのもみつまで寝(ね)もと我(わ)は思(も)ふ汝(な)はあどか思(も)ふ
3495
伊波保(いはほ)ろの沿(そ)ひの若松(わかまつ)限(かぎ)りとや君が来まさぬうらもとなくも
要旨 >>>
〈3494〉子持山の楓の若葉が紅葉するまで、ずっと寝たいと私は思う。お前さんはどう思うか。
〈3495〉大岩の崖に生えている若松のように、私は待っているのに、これを限りに、あの方が来なくなってしまうのか、心もとなくてならない。
鑑賞 >>>
3494の「子持山」は、群馬県渋川市北方の子持山。この歌が未勘国歌(国名のない歌)となっているのは、東歌が編纂された当時はこの山の場所が分からなかったと見えます。「若かへるで」の「かへるで」は、カエデ。「もみつ」は、赤くなること。「寝も」は「寝む」の東語。「あどか」は、どのように。この歌について言語学者の犬養孝は、「上3句は誇張のようだが、かえって燃えるような情を思わせ郷土色に深くしみついた民謡らしいひびきがある。それに下2句は、大和の都人の感覚からすればあまりに露骨に思われようが、土にまみれた生活の中からはかえってかざらない真情があふれていて卑俗なものを感じさせない」と評しています。
3495の「伊波保」は「巌ろ」で、岩石。「ろ」は、接尾語。「沿ひ」は、急斜面ぎりぎり、そば、ほとり。上2句は、若松が急斜面ぎりぎりに生えているところから、「限り」を導く序詞。「限りとや」の「や」は疑問で、関係はこれで終わりというのだろうか、の意。「うらもとなくも」の「うら」は心で、心もとなくも。窪田空穂は、「やや年をした女が、自分よりも年下な男と関係し、双方半ば遊戯気分で逢っている状態での女の心かとも思われる」と言っています。しかし、妻問婚(別居婚)の、しかも一夫多妻の時代にあって、夫の訪れを常に不安な気持ちで待たなければならなかった当時の妻たちの切ない心理が如実に窺える歌であるように感じます。