大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

見れど飽かずいましし君が・・・巻第3-459

訓読 >>>

見れど飽(あ)かずいましし君が黄葉(もみちば)の移りい行(ゆ)けば悲しくもあるか

 

要旨 >>>

見ても見ても見飽きることのなく立派でいらした君が、黄葉の散りゆくように逝ってしまわれたので、何とも悲しくてならない。

 

鑑賞 >>>

 大伴旅人の死を悼む歌。妻を亡くして大宰府から帰京した旅人は、甚だしく気落ちしてしまったのか、その翌年の天平3年(731年)秋7月に亡くなります。この歌の左注には、次のような説明があります。「内礼正の県犬養宿祢人上(あがたのいぬかいのすくねひとかみ)が、(聖武天皇の)勅により遣わされ、旅人卿に医薬を給わったがその効なく、逝く水留まらず。そこで悲しんでこの歌を作った」。「内礼正」は、中務省所管の、宮中の礼儀・非違を検察する役所の長官。「逝く水留まらず」は、旅人の死を喩えた中国の成語。「見れど飽かず」は、幾度見ても見飽きない、の意で、最も良いものや人に対しての讃詞として成語となっていたもの。「移りい行けば」の「い」は、接頭語。色あせる・衰える・散るなどの変化を示す意で、黄葉の散るのを旅人の死に譬えています。「悲しくもあるか」の「か」は、詠嘆。

 

 

 

大伴旅人の略年譜

710年 元明天皇の朝賀に際し、左将軍として朱雀大路を行進
711年 正五位上から従四位下
715年 従四位上中務卿
718年 中納言
719年 正四位下
720年 征隼人持説節大将軍として隼人の反乱の鎮圧にあたる
720年 藤原不比等が死去
721年 従三位
724年 聖武天皇の即位に伴い正三位
727年 妻の大伴郎女を伴い、太宰帥として筑紫に赴任
728年 妻の大伴郎女が死去
729年 長屋王の変(2月)
729年 光明子立后
729年 藤原房前に琴を献上(10月)
730年 旅人邸で梅花宴(1月)
730年 大納言に任じられて帰京(12月)
731年 従二位(1月)
731年 死去、享年67(7月)

『万葉集』掲載歌の索引

『万葉集』の年表