大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

直越のこの道にして・・・巻第6-976~977

訓読 >>>

976
難波潟(なにはがた)潮干(しほひ)のなごりよく見てむ家なる妹(いも)が待ち問はむため

977
直越(ただこえ)のこの道にしておしてるや難波(なには)の海と名付(なづ)けけらしも

 

要旨 >>>

〈976〉難波潟の潮干のなごりのさまをよく見ておこう。家にいる妻が待っていて、あれやこれや尋ねるだろうから。

〈977〉生駒をまっすぐ越えていくこの道においてこそ、昔の人は、押し照る難波の海と名付けたのだろう。

 

鑑賞 >>>

 天平5年(733年)、神社忌寸老麻呂(かみこそのいみきおゆまろ:伝未詳)が、草香山を越えたときに作った歌。草香山は、生駒山の西側の一帯、東大阪市日下町付近の山地。河内の日下から見た生駒山の俗称とする説もあります。

 976の「難波潟」は、難波の浜の干潟。「潮干のなごり」は、潮が引いた跡に残る魚介や海藻、水たまり。ただし一方で、それがそんなに感動すべき景であったとは思えないとの理由から、潮が満ち始めて一面に照り輝き出し、潮干の時の姿がわずかに残っている状態と見る説もあります。「家なる」は、家にある。

 977の「直越の道」は、平城京から西に向かい、生駒山を越えて難波へ出る道。神武天皇の伝説や雄略記にも「日下之直越道(くさかのただこえのみち)」とあり、暗(くらがり)峠、辻子(ずし)越、善根寺(ぜんこんじ)越などが残っているものの、正確にどの道とも定まりません。「おしてるや」は、隈なく照る意で、「難波」に掛かる枕言葉。「けらしも」は「けるらし」の約で、「らし」は、確信的推定。~にちがいない。「も」は、詠嘆。

 

 

『万葉集』掲載歌の索引

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