訓読 >>>
足(あ)の音せず行かむ駒(こま)もが葛飾(かづしか)の真間(まま)の継橋(つぎはし)やまず通はむ
要旨 >>>
足音を立てずに行く、そんな馬がいたらなあ。葛飾の真間の継橋を渡って、いつも彼女のもとへ通うことができるのに。
鑑賞 >>>
下総の国の歌。「真間の手児名」の伝説(巻第9-1807~1808参照)にかかわって歌われた歌といわれ、秘密の恋人のもとへひそかに通って行きたいと願う歌、あるいは、しばらく女性を訪ねなかった言い訳とも読めます。東歌らしいのは後者の方でしょう。
「駒もが」の「もが」は、願望。~あったらなあ。「葛飾」の地名は、東京都葛飾区、埼玉県北葛飾郡、またかつて千葉県東葛飾郡とあったように、江戸川流域の広大な地域を言い、東歌では「かづしか」とにごっています。「真間」は、市川市に真間町がありますが、そこも含めた国府台(こうのだい)一帯を指した地名。「継橋」は、川幅の広い中に何本かの柱を立てて板を渡し、複数の橋を継いだように見える橋。続いて通う意を含んでいます。川の増水時には取り外すために釘などを打ちつけていないため、馬が渡るとガタガタと大きな音を立てたと見えます。
現在の真間から東京湾岸までは、近いところでも7キロありますが、近世以前は、今の利根川は中川(古利根川)、江戸川などを経て東京湾に注いでおり、この水流がつくる沖積平野が、次第に海を遠くしました。万葉のころには真間付近が海岸であったことは、東歌に「真間のおすひに波もとどろ」「真間の浦廻を漕ぐ船」とあることから分かります。真間は、江戸川河口付近に入江をなしていて、入江の一部あるいは川に、板を連ねた継橋があったと見えます。
※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について