大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

隼人の湍門の磐も・・・巻第6-960~961

訓読 >>>

960
隼人(はやひと)の湍門(せと)の磐(いはほ)も年魚(あゆ)走る吉野の滝になほ及(し)かずけり

961
湯の原に鳴く葦鶴(あしたづ)は我(あ)がごとく妹(いも)に恋ふれや時わかず鳴く

 

要旨 >>>

〈960〉隼人の瀬戸の岩のすばらしさも、鮎の走り泳ぐ吉野の急流にはやはり及ばない。

〈961〉湯の原で鳴いている鶴たちは、私のように妻を恋しく思って絶えず鳴いているのだろうか。

 

鑑賞 >>>

 大伴旅人の歌。960は、現在の鹿児島県阿久根市と長島の間にある「黒の瀬戸(一説には関門海峡とも)」を見て、遥かに吉野離宮を思って作った歌。大宰帥の役目として、筑紫の9国2島を巡察することになっていましたから、その途上での作歌と思われますが、征隼人の将軍として来たころ(720年)のことかもしれません。遠い異郷の荘厳な海景に深い感動を得ながらも、なお鮎走る吉野の清流への回想を新たにしています。巻第3-316に「昔見し象(きさ)の小河を今見ればいよよ清(さや)けくなりにけるかも」という旅人の歌があり、旅人は吉野の風景をこよなく愛していたとみられます。筑紫のいろいろな新鮮な風土に接して感動している旅人ですが、やはり望郷の念を禁じ得なかったのでしょう。

 961は、次田(すきた)の温泉に泊まって、鶴が鳴くのを聞いて作った歌。「次田の温泉」は、大宰府の南の二日市温泉。「湯の原」は、二日市温泉の地。「葦鶴」は鶴のことで、歌語となっていたもの。「恋ふれや」の「や」は、疑問。「恋ふれか」と訓むものもあります。「時わかず」は、時の区別なく、絶えず。旅人は、この年に亡くなった妻のことを思いながら、ずっと声を出して鳴いている鶴にもそうした事情があるのだろうかと、寂寞の心を寄せています。

 

 

 

隼人(はやひと)

 南九州にいた古代の雄賊で、今の鹿児島県と宮崎県南部を居住地とし、大隅隼人と薩摩の阿多隼人の二大勢力がありました。5世紀ごろからは乗馬をとりいれ武勇の誉れが高く、しばしば朝廷に反抗しましたが、中央に上番して宮門の警衛などに当たり、一部は近畿地方に移住しました。令制では隼人の司に管轄され、宮城の警衛に当たったほか、即位・大嘗祭(だいじょうさい)などにも奉仕しました。また、竹を道具に使うことに長けていて、竹笠の造作にも従事しました。

※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について

大伴旅人の歌(索引)