訓読 >>>
3530
さ雄鹿(をしか)の伏(ふ)すや草むら見えずとも子ろが金門(かなと)よ行かくし良(え)しも
3531
妹(いも)をこそ相(あひ)見に来しか眉引(まよび)きの横山辺(よこやまへ)ろの猪鹿(しし)なす思(おも)へる
要旨 >>>
〈3530〉牡鹿が伏している草むらのように、たとえ姿は見えなくても、あの子の家の金門の前を通って行くのはうれしいものだ。
〈3531〉彼女に逢いに来ただけなのに、横山あたりをうろつく猪鹿のように思いやがって。
鑑賞 >>>
3530の「さ雄鹿」の「さ」は、接頭語。「伏すや草むら」は、雄鹿の伏す草むらのように。上2句は「見えず」を導く譬喩式序詞。「子ろ」は、女性を親しんで呼ぶ東語。「金門」は未詳ながら「金」は「門」の美称とも言われます。「行かくし」の「行かく」は「行く」のク語法で名詞形。「し」は、強意の副助詞。「良(え)し」は「よし」の東語。いつも追っている鹿は、草むらに伏していると見つけにくい、家の奥に入っている恋人の姿も見えないけれど、その人の家の前を通るだけでも胸が騒ぐと言っており、古今東西、恋人の家の周りをさまよい歩く男の姿に変わりはないようです。
3531の「相見に」は、逢いに。「来しか」の「しか」は「こそ」の係り結びで、来たのだ。「眉引きの」は、低山の稜線を女性の長い眉に喩えたもので、その眉が横に長いことから「横」に掛かる枕詞。「横山」は、横に長い低山。「辺ろ」の「ろ」は、接尾語で、辺りにいる。「猪鹿なす」の「なす」は、~のような、~のように。「思へる」はいわゆる連体形止めで、ふつう余情を持たせ、詠嘆的に解します。女の母親に発見され追われた時に、「害獣が田畑を荒らしにきたとでも思っているのか」と憤慨し毒づいている男の歌です。3529の歌にもありましたが、娘の母親は恋の監視者として、男子にとって極めて高い障壁となっていたと見えます。
巻第14の編纂者
巻第14の編纂者が誰かについては諸説あり、佐佐木信綱は、藤原宇合(不比等の第3子)が常陸守だった時に属官として仕え、東国で多くの歌を詠んだ高橋虫麻呂だとしています。ただ、東歌の編纂は、虫麻呂一人の仕事ではなく、のちにそれに手を加えた人のあることが推量され、その人を大伴家持とする説もあります。一方、この巻に常陸の作の多いことも認められるが、上野の国の歌はさらに多く、その他多くの国々の作を、常陸に在任したというだけで虫麻呂の編纂と断ずることはできないとの反論もあり、その上野国に関連して、和銅元年(708年)に上野国守となった田口益人(たぐちのますひと:『万葉集』に短歌2首)と見る説もあります。さらには、これら個人の仕事ではなく、東国から朝廷に献じた「歌舞の詞章」だという説もあります。
※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について