訓読 >>>
1232
大海(おほうみ)の波は畏(かしこ)ししかれども神を斎祀(まつ)りて舟出(ふなで)せばいかに
1233
娘子(をとめ)らが織(お)る機(はた)の上を真櫛(まぐし)もち掻上(かか)げ栲島(たくしま)波の間(ま)ゆ見ゆ
要旨 >>>
〈1232〉大海の荒波に遭遇するのは恐ろしいけれど、海の神を祭って無事をお祈りをして舟出したらどうだろう。
〈1233〉乙女たちが機を織るときに、立派な櫛で上糸をくしけずってたくしあげる、それを名とした栲島(たくしま)が波の間に見える。
鑑賞 >>>
「覊旅(旅情を詠む)」歌。1232の「畏し」は、恐ろしい。「神を斎祀りて」は、忌みつつしんで神を祭って。「いかに」は、いかにあらんの意。船出に際し、船頭などに語りかけた言葉なのでしょう。
1233の「真櫛」の「真」は、接頭語。「掻上げ」は、カキアゲの縮まったもの。「娘子らが~掻上げ」までが、機(はた)にかけた織糸をすき上げ整える意の「たく」と同音で、「栲島」を導く序詞。「栲島」は所在未詳ながら、松江市の大根島であるとの説があります。大根島は、中海に浮かぶ小さな火山島です。「波の間ゆ」の「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞で、波間を通して。窪田空穂は、「航海中、遠く波間に見えてきた小さな可憐を島を、栲島だと知った乗船の人が、それの可憐なさまから、娘たちが機を織る時の『かかげたく』ことを連想して、その興味からこうした長序を設けたものと思われる。・・・作歌に熟した乗客の歌と思われる」と述べています。
なお、「栲島」については、出雲国風土記の「蜛蝫嶋(たこしま)」の条に、古老の伝えとして、出雲郡の杵築(きづき)の岬にいた蜛蝫(蛸)を天の大鷲が捕らえてこの島へ持って来て留まった。それで「蜛蝫(たこ)島」というのであるが、今の人はこれを誤って栲島(たくしま)といっている、とあります。
※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について