大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

遣新羅使人の歌(35)・・・巻第15-3694~3696

訓読 >>>

3694
わたつみの 畏(かしこ)き道を 安けくも なく悩み来て 今だにも 喪(も)なく行かむと 壱岐(ゆき)の海人(あま)の 秀(ほ)つ手の占部(うらへ)を 象焼(かたや)きて 行かむとするに 夢(いめ)のごと 道の空路(そらぢ)に 別れする君

3695
昔より言ひけることの韓国(からくに)の辛(から)くもここに別れするかも

3696
新羅(しらき)へか家にか帰る壱岐(ゆき)の島 行(ゆ)かむたどきも思ひかねつも

 

要旨 >>>

〈3694〉海神が支配し給う恐ろしい海道を難渋しながらやってきて、せめて今からは無事に行こうと、壱岐の海人の占いの名人に占ってもらい、象を焼いて吉と出て、さあ行こうとする矢先、夢のように空の彼方に別れ去ってしまった君よ。

〈3695〉昔から言い伝えられてきた、韓国(からくに)の辛(から)くというように、つらくもここで君と別れるというのか。

〈3696〉新羅へ行こうか、それともいっそ家へ帰ろうか。ここの名前は壱岐の島だが、どちらへ行けばいいのか手段も思いもつかない。

 

鑑賞 >>>

 六鯖(むさば)が作った、雪連宅満(ゆきのむらじやかまろ)に対する挽歌3首。「六鯖」は、六人都鯖麻呂(むとべのさばまろ)の略記ではないかとされます。天平宝字8年に外従五位下。この時期、大陸風に氏名を略記することは、一部に好んで行われたといいます。

 3694の「わたつみ」は海の神。「安けく」は「安し」の名詞形で、安らかなこと。「今だにも」は、今だけでも。「喪なく」は、凶事もなく、無事に。「秀つ手」は、名人。「占部」は、占い。「象焼きて」は、亀甲を焼く占いをして。「道の空路」は、道の途中。3695の「韓国の」は、ここでは新羅をさし、「辛く」の枕詞。3696の「壱岐の島」は、同音で「行かむ」に掛けた枕詞。「たどき」は、手段、方法。「思ひかねつ」は、思うことができない、思いもよらない。「も」は、詠嘆。

 亡くなった雪連宅満は、元は壱岐島の島造(しまやっこ)の家系で、陰陽道(おんみょうどう)に関りのある人ではなかったかとされます。氏名(うじな)の「雪」は壱岐を同じ発音の雪一字で表したものともいわれ(当時は壱岐島を「ユキノシマ」と言っていた)、氏名や地名を漢字一字で表すことが7、8世紀に流行ったといいます。そして、星を見て卜占をよくしたので、この人の決定によって出航の可否を決めていたのだろう、と。ところが、その役目の人が死んでしまい、一行の者は非常に不安に思ったのでしょう。「どちらへ行けばいいのか手段も思いもつかない」と歌っているのは、その不安の表れのように感じられます。

 

 

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