大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

しぐれの雨間なくし降れば三笠山・・・巻第8-1553~1554

訓読 >>>

1553
時雨(しぐれ)の雨(あめ)間(ま)なくし降れば三笠山(みかさやま)木末(こぬれ)あまねく色づきにけり

1554
大君(おほきみ)の三笠の山の黄葉(もみちば)は今日の時雨(しぐれ)に散りか過ぎなむ

 

要旨 >>>

〈1553〉しぐれの雨が絶え間なく降るので、三笠山は、梢の先々まですっかり色づいたことであるよ。

〈1554〉大君の御笠である三笠の山の黄葉は、今日の時雨で散り果ててしまうだろう。

 

鑑賞 >>>

 1553は、大伴家持の叔父にあたる大伴宿禰稲公(おおともすくねいなきみ)の歌。「時雨」は、晩秋から初冬にかけて降る小雨。「間なくし降れば」の「し」は、強意の副助詞。「三笠山」は、こんにち一般に若草山をさしますが、 万葉における三笠山は、春日大社の東方に位置する御蓋山(標高297m)のことです。円錐形の山の形から「み笠」といわれます。「木末」は、梢、枝先。「あまねく」は、全てにわたって、広く。当時の人々は、雨と花の関係のように、雨は一方では紅葉を促進させるものと考えていました。

 1554は、家持が和した歌。「大君の」は、天皇がおかざしになるみ笠の意で、「三笠」にかかる枕詞。「散りか過ぎなむ」の「か」は疑問。「な」は、完了の助動詞「ぬ」の未然形。「む」は、未来の推量の助動詞。ここでは上の疑問の「や」の係り結びで連体形。稲公が、時雨が紅葉を促すものとして詠んだのに対し、家持は、もみじが散るかと案じさせるものとして詠んでいます。文学者の犬養孝はこれらの歌を、「目にふれた美景による、天平貴族らの風雅の社交の産物である」と評しています。

 

 

 

係り結び

 文中に「ぞ・なむ・や・か・こそ」など、特定の係助詞が上にあるとき、文末の語が終止形以外の活用形になる約束ごと。係り結びは、内容を強調したり疑問や反語をあらわしたりするときに用いられます。

①「ぞ」「なむ」・・・強調の係助詞
 ⇒ 文末は連体形
   例:~となむいひける

②「や」「か」・・・疑問・反語の係助詞
 ⇒ 文末は連体形
   例:~やある

③「こそ」・・・強調の係助詞
 ⇒ 文末は已然形
   例:~とこそ聞こえけれ

『万葉集』の年表

大伴家持の歌(索引)