訓読 >>>
2235
秋田刈る旅の廬(いほ)りに時雨(しぐれ)降り我(わ)が袖(そで)濡れぬ干(ほ)す人なしに
2236
玉たすき懸(か)けぬ時なし我(あ)が恋は時雨(しぐれ)し降らば濡れつつも行かむ
2237
黄葉(もみちば)を散らす時雨(しぐれ)の降るなへに夜(よ)さへぞ寒き独りし寝(ぬ)れば
2238
天(あま)飛ぶや雁(かり)の翼(つばさ)の覆(おほ)ひ羽(ば)のいづく漏(も)りてか霜(しも)の降(ふ)りけむ
要旨 >>>
〈2235〉秋の田を刈るための旅寝の仮小屋に、時雨が降ってきて、着物の袖が濡れてしまった。干してくれる妻もいないのに。
〈2236〉心にかけない時がない、私の恋は。もし時雨しぐれが降ったら、濡れながらでも行こう。
〈2237〉黄葉を散らす時雨が降っている上、夜になるとますます寒い。たった一人で寝るので。
〈2238〉大空を飛ぶ雁の翼の、あの空を覆う羽根の、どこから漏れて霜が降ったのだろうか。
鑑賞 >>>
「雨を詠む」歌。2235の「廬」は、旅寝をする仮小屋。「時雨」は、秋の末から冬の初めごろに、降ったりやんだりする小雨。「干す人なしに」は、妻がいないのにの意。この歌からは、当時は、農作業のために一時的に家を離れて仮小屋に泊まる、すなわち日常生活に近い移動・宿泊も「旅」と呼んでいたことが分かります。2236の「玉たすき」は「懸け」の枕詞。「懸けぬ時なし」は、心にかけない時はない。2237の「なへに」は、とともに、と同時に。「独りし」の「し」は、強意の副助詞。
2238は「霜を詠む」歌。「天飛ぶや」は「雁」の枕詞にもなりますが、ここは状態描写。「覆ひ羽」は、空を覆うように広げた羽。雁の翼が空を覆うというのは甚だしい誇張ですが、あるいは雁の大群を意味しているのでしょうか。「降りけむ」の「けむ」は、過去推量。
作者未詳歌
『万葉集』に収められている歌の半数弱は作者未詳歌で、未詳と明記してあるもの、未詳とも書かれず歌のみ載っているものが2100首余りに及び、とくに多いのが巻7・巻10~14です。なぜこれほど多数の作者未詳歌が必要だったかについて、奈良時代の人々が歌を作るときの参考にする資料としたとする説があります。そのため類歌が多いのだといいます。
7世紀半ばに宮廷社会に誕生した和歌は、7世紀末に藤原京、8世紀初頭の平城京と、大規模な都が造営され、さらに国家機構が整備されるのに伴って、中・下級官人たちの間に広まっていきました。「作者未詳歌」といわれている作者名を欠く歌は、その大半がそうした階層の人たちの歌とみることができ、東歌と防人歌を除いて方言の歌がほとんどないことから、機内圏のものであることがわかります。