訓読 >>>
上(かみ)つ毛野(けの)佐野(さの)の舟橋(ふなはし)取り離(はな)し親は放(さ)くれど我(わ)は離(さか)るがへ
要旨 >>>
上野の佐野の舟橋を取りはずすように、親は私たちの仲を引き裂こうとするけれど、私は離れようか、離れはしない。
鑑賞 >>>
上野(かみつけの)の国の歌。「佐野の舟橋」について、『枕草子』第65段に「橋は」とある中に、当時有名だった橋の名が18列挙されており、その6番目に「佐野の舟橋」が出てきます。「舟橋」というのは、舟を何艘か横に並べ、その上に丸太や板を渡した橋のこと。その所在は、群馬県高崎市の烏川流域または栃木県佐野市などとする説があります。上3句は「放く」を導く譬喩式序詞。「親は放くれど」は、親は二人の間を裂くけれど。「がへ」は、反語を表す「かは」にあたる東国方言。母親に恋人との交際をさしとめられた娘が詠んだものと見えますが、上3句を序詞ではなく実叙とすれば、女の許に通う男の歌とも取れます。いずれにせよ、二人の仲を裂こうとする障害が激しいほど、恋の情熱は燃えるのです。
この佐野の舟橋について、次のような伝説があると言います。―― 烏川を挟んで二つの村があり、それぞれの村の長者の息子と娘が恋仲となり、夜に舟橋を渡って人目を忍んで逢っていた。しかし、それを知った親が、ある夜に橋板をはずして二人が逢えないようにした。それを知らない二人は、橋を渡ろうとして、川に落ちて死んでしまったという。
なお、東歌には、大きな地名に小さな地名を重ねた言い方をしているものが数多く見られます。ここにある「上つ毛野」で始まる歌もそうですし、他にも「葛飾の真間」「信濃なる千曲の川」「足柄の刀比」「鎌倉の見越の崎」など、くどいとも言える地名表現が多々あります。地元の人たちが詠む歌の物言いとしてはかなり不自然であり、いかにも説明的であるところから、中央の関係者によって手が加えられたものと想像できます。方言が含まれていない歌もたくさん見られます。