大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

妹に似る草と見しより我が標し・・・巻第19-4197~4198

訓読 >>>

4197
妹(いも)に似る草と見しより我が標(しめ)し野辺(のへ)の山吹(やまぶき)誰(た)れか手折(たを)りし

4198
つれもなく離(か)れにしものと人は言へど逢はぬ日まねみ思ひぞ我(あ)がする

 

要旨 >>>

〈4197〉あなたに似ている草だと見たので、私が占めていた野の山吹を、いったい誰が手折ってしまったのでしょうか。

〈4198〉素っ気なく離れて行ったとあなたは言いますが、あなたと逢わない日が重なってきて、私は嘆いています。

 

鑑賞 >>>

 大伴家持の歌。題詞に「京人(みやこひと)に贈る」歌とあり、「留女之女郎(りゅうじょのいらつめ)に贈るために、妻の坂上大嬢に頼まれて作った。女郎は大伴家持の妹である」との注釈があります。この歌より前に「京より贈られてきた歌」として、留女之女郎が坂上大嬢に贈ってきた歌(4184)が載っています。

〈4184〉山吹の花取り持ちてつれもなく離(か)れにし妹を偲ひつるかも
 ・・・山吹の花を手に取り持っては、素っ気なく旅に出て行かれたあなたをお慕いしています。

 4173、4213には、家持が京にいる妹に贈った歌があり、ここの留女之女郎と同一人とされます。「留女」は、家刀自である大嬢の留守中に家を守っている女性の意かともいわれます。「離れにし」というのは、大嬢が家持のいる越中に下った際のこととみられ、山吹の花が咲く季節だったようです。京に残った留女之女郎が、大嬢を懐かしんで贈ってきた歌です。なお、留女之女郎が京の丹比(多治比)家に居住していたと見られることから、丹比郎女(たじひのいらつめ:生没年未詳)が、旅人の妻で家持の生母と考えられています。また、大宰府旅人と親交のあった丹比県守(たじひのあがたもり)が丹比郎女の父ではなかいかとの説があります。

 4197・4198はこれに対する返歌で、4197の「妹」は、大嬢から女郎を指しての称。「妹に似る草と見しより」は、あなたに似ている草と見たので。4198の「人は言へど」の「人」は、女郎のこと。「まねみ」は、数多くて、久しくて。女郎が贈ってきた歌は情愛に満ちていますが、家持が代作した返歌は、どことなくとぼけた感じで、それがかえって近親同士の情愛を感じさせられるものとなっています。

 ところで、大嬢は、4169・4170の坂上郎女に贈る歌でも夫の家持に代作を頼んでおり、このことに関して詩人の大岡信は次のように言っています。「大嬢は、家持との恋愛時代を除けば、歌というものをまるで残していない。越中に行ってからの大嬢の、ほとんど不可解なほどの歌への忌避は、何とも言えない感じのもので、いずれも大切な実母や夫の妹に対して贈る歌なのだ。家持との恋歌も、実際は母の坂上郎女が大いに手を加えたか、あるいは娘に代わって作り、家持に贈っていた可能性があるのではないかという、不謹慎な空想を抱かせる。大嬢は家持から見れば、可愛いだけでなく、一人前の女というには、どこか頼りなげなところがつきまとう女性だったのではないだろうか」

 

 

『万葉集』掲載歌の索引

大伴家持の歌(索引)