訓読 >>>
466
我(わ)がやどに 花ぞ咲きたる そを見れど 心も行(ゆ)かず はしきやし 妹(いも)がありせば 水鴨(みかも)なす 二人 並(なら)び居(ゐ) 手折(たを)りても 見せましものを うつせみの 借(か)れる身なれば 露霜(つゆしも)の 消(け)ぬるがごとく あしひきの 山道(やまぢ)を指(さ)して 入日(いりひ)なす 隠(かく)りにしかば そこ思(も)ふに 胸こそ痛き 言ひも得ず 名付(なづ)けも知らず 跡(あと)もなき 世の中なれば 為(せ)むすべもなし
467
時はしもいつもあらむを心痛くい行く我妹(わぎも)かみどり子(こ)を置きて
468
出(い)でて行く道知らませばあらかじめ妹(いも)を留(とど)めむ関(せき)も置かましを
469
妹(いも)が見しやどに花咲き時は経(へ)ぬ我(わ)が泣く涙いまだ干(ひ)なくに
要旨 >>>
〈466〉我が家の庭先にナデシコの花が咲いた。その花を見ても心はなごまない。ああ、愛しくてならなかった妻が生きていてくれたなら、仲良く水に浮かぶ鴨のように二人で肩寄せ合ってはながめ、手折って見せられたのに。人の身はこの世の仮の身だから、露や霜のように消えて行くように、山路の向こうに沈む夕日のように隠れてしまった。それを思うと、胸が痛み、言いようもなく、たとえようもない気持ちになる。消えて跡形もないこの世であれば、どうする術もない。
〈467〉死ぬ時はいつであってもいいだろうに、なぜ今の今、私の心を痛ませ旅立ってしまったのか、幼な子をあとに残して。
〈468〉旅立ってあの世へ行く道をあらかじめ知っていたなら、彼女を留める関を作っておいたのに。
〈469〉生前、妻が見ていとしんだ庭にナデシコの花が咲き、早くも月日は過ぎ去った。私が泣く涙はいまだに乾かないのに。
鑑賞 >>>
大伴家持の歌。亡き妾を悲しんで作った462以下の一連の歌群の中にあるもので、「又、家持の作れる」との題詞がついています。妾がその咲くのを見ようと楽しみにしていたナデシコが、亡くなって後に咲いたのを見て、悲しみを新たにして作った長歌と短歌です。ここの長歌は、家持が初めて作ったものです。
466の「やど」は、家の敷地、庭先。「花」は、前の歌との関連で、ナデシコの花。「心も行かず」は、心が和まない、満足しない。「はしきやし」は、ああ、いとしい。「水鴨なす」の「なす」は、のごとく。鴨は雌雄並んでいるので「二人並び居」に掛かる比喩的枕詞。「見せましものを」の「まし」は「せば」の帰結で、見せようものを。「うつせみの」は「借れる身」の枕詞。「借れる」は「借りある」の約で、仮に成っている意。「露霜の」は、枕詞ではなく「消ぬる」の主語。「あしひきの」は「山道」の枕詞。「言ひも得ず名付けも知らず」は、言い表すこともできず、名づけようも知られず。「為むすべもなし」は、どうする術もない。
467の「時はしも」の「時」は、死ぬ時。「しも」は、強意。「い行く」の「い」は、語調を整える接頭語。「みどり子」は、生まれてから3歳くらいまでの幼子のことで、702年に施行された大宝律令にも「男女を問わず3歳以下を緑子となす」と定められています。「みどり」の語は本来、樹木などの新芽のように瑞々しい意で、「瑞々」の「みず」が「みどり」に転化し、後に色名になったといいます。468の「道」は、冥土の道。「ませば~まし」は、反実仮想(もし・・・だったら~だろうに)。
466について、窪田空穂は次のように評しています。「この歌は、読後の感銘の薄い、不出来なものである。それは、一首の歌として最も大切である統一力が欠けているのと、先輩(人麻呂)の佳句を模したものが多く、それがおのずから不調和となり、流動の相をもち得ないためである。なぜ統一力が欠けたかは、一首の構成に無理があるためで、主としていわんとするのは、死生観という大規模なものであるのに、作因は砌に咲いているナデシコの花という小さなものである。このいささかなる作因を、感傷をたよりに、強いて大問題へ展開させようとしたがために、感傷に圧倒されて混乱の形に陥り、統一がつけられなかったものとみえる。また、先輩の句の多くを模したのは、その根本には、長歌を作るには力が足らず、人の影響を受けやすい人柄でもあったためと思われるが、この場合としては、知性的なことをいうのは不得手である人が、感情をとおしてそれを言いきろうとするところから、平生佳句として記憶にあったところを引用し、それによって力あらしめようとしたためではないかと思われる。この二つのことから不出来になったのであるが、要するに、短歌は手に入った作をするまでに至っていたが、長歌は稽古時代で、手に余ったがためで、家持としての道程を示している作である」(要約)。また、469について斎藤茂吉は、これは明らかに憶良の「妹が見し楝の花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干なくに」(巻第5-798)の模倣であり、この1首を尊敬していたことが分かる、と言っています。