訓読 >>>
秋萩(あきはぎ)の散りの乱(まが)ひに呼び立てて鳴くなる鹿(しか)の声の遥(はる)けさ
要旨 >>>
萩の花が散り乱れている。折しも、妻を呼び立てて鳴く牡鹿の声が、遥かに聞こえてくる。
鑑賞 >>>
湯原王(ゆはらのおおきみ)の「鳴く鹿の歌」。「散りの乱ひ」は、散って乱れること、散りまごう状態。他にも用例があり、成句になっていた語です。「呼び立てて」は、牡鹿が牝鹿を呼び立てて鳴いている意。広大な萩原の眺望を楽しんでいた時の瞬間的な光景を詠んだ歌であり、秋風によって萩の花が盛んに散るのに驚いた牡鹿が、牝鹿を呼び立てている声が聞こえると言っています。窪田空穂は、「『散りの乱ひ』の目前の景と、『声の遙けさ』のやや遠い景を対させ、萩原の広さを暗示にしているのも、用意をもってのことである」と述べています。
湯原王は、天智天皇の孫、志貴皇子の子で、兄弟に白壁王(光仁天皇)・春日王・海上女王らがいます。天平前期の代表的な歌人の一人で、父の端正で透明感のある作風をそのまま継承し、またいっそう優美で繊細であると評価されており、家持に与えた影響も少なくないといわれます。兄弟の白壁王が聖武天皇の皇女(井上内親王)を妻として位階を進め、即位の約1年半後には、皇后や皇太子を廃して獄死させているのと比較すると、王は、人間らしい風雅の道を選んだらしくあります(本心や才能を隠しつつ政争から逃れ、一生無位だったともいわれます)。生没年未詳。『万葉集』には19首。

『万葉集』に詠まれた鹿
万葉人が鹿に寄せる情景は非常に特徴的で、そのほとんどが「妻を恋うて鳴く声」に集中しています。深い山の中で寂しげに響く鹿の鳴き声は、万葉人にとって「孤独」「物思い」「熱烈な恋情」の最たる象徴でした。秋になると、牡鹿は雌(妻)を求めて高い声で鳴きます。万葉人はこの声を単なる自然現象としてではなく、愛する人を一途に想う自分自身の「恋の切なさ」や「孤独」と重ね合わせました。
また、『万葉集』独自の風雅な見立てとして、「牡鹿の恋人は萩(はぎ)の花」というロマンチックな設定(植物と動物の恋愛)が好んで詠まれました。鹿が萩の露を払いながら鳴く姿は、秋の美と切なさを極めた定番の組み合わせとなっています。
さらに旅先の地で一人眠れない夜を迎えた旅人にとって、夜中に響く鹿の鳴き声は、自らの寂しさを倍増させるものでした。鹿の声を「聞く」こと自体が、文学的な愁いを引き起こすトリガーとなっています。
貴族の特権
官人貴族はすべてに特権階級であり、彼らには位田(いでん)・位禄(いろく:三位以上は位封)・季禄(今のボーナスにあたる)が与えられ、大臣クラスの年収は現代に換算すると1億円にも達するだろうと言われます。さらにこのほかに、五位以上の官人・親王に資人(しじん)・帳内(ちょうない)と呼ばれる従者が支給され、三位以上の官人・親王らには家司(けいし)が派遣されました。たとえば一位のものは資人100人、家司6人となっていました。
また官人はその最下位の初位(そい)にいたるまで何らかの免税が認められ、三位以上では親と子3代にわたってすべての租税が免除されました。そして蔭位(おんい)と呼ばれる特権は、親の位階によって子・孫の初任の官位が定められたもので、一位の者の嫡出子は従五位下、庶出子および孫は正六位に最初から任命されました。
当時の日本の全人口は600万人と推定されていますから、わずか数百人の官人のこのような特権生活を支えたのは、この残り大多数の人々でありました。
