大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

大伴家持が坂上大嬢に贈った歌・・・巻第8-1629~1630

訓読 >>>

1629
ねもころに 物を思へば 言はむすべ 為(せ)むすべもなし 妹(いも)と我(あ)れと 手(て)携(たずさ)はりて 朝(あした)には 庭に出(い)で立ち 夕(ゆうへ)には 床(とこ)打ち払ひ 白栲(しろたへ)の 袖(そで)さし交(か)へて さ寝(ね)し夜(よ)や 常(つね)にありける あしひきの 山鳥(やまどり)こそば 峰(を)向かひに 妻問(つまど)ひすといへ うつせみの 人なる我(あ)れや 何すとか 一日(ひとひ)一夜(ひとよ)も 離(さか)り居(ゐ)て 嘆き恋ふらむ ここ思へば 胸こそ痛き そこ故(ゆゑ)に 心なぐやと 高円(たかまと)の 山にも野にも うち行きて 遊びあるけど 花のみ にほひてあれば 見るごとに まして偲(しの)はゆ いかにして 忘れむものそ 恋といふものを

1630
高円(たかまと)の野辺(のへ)の容花(かほばな)面影(おもかげ)に見えつつ妹(いも)は忘れかねつも

 

要旨 >>>

〈1629〉つくづく物を思うと、何と言ってよいか、どうしてよいか分からない。あなたと私と手を取り合って、朝方には庭に降り立ち、夕方には床を清めては、袖を交わし合って共寝した夜が平常のことであっただろうか。あの山鳥は、谷を隔てた峰に向かって妻問いするというのに、人間である私は、何だって一日一夜を離れているだけで、あなたを思って嘆き恋うのか。これを思うと胸が痛い。心を慰めようと、高円の山や野に出かけて遊び歩くものの、花ばかりが美しく咲いていて、それを見るたびに、いっそう思いはつのる。いったいどうしたら忘れることができるのだろうか、この恋の苦しみを。

〈1630〉高円の野辺に咲くかお花を見ると、あなたの面影がちらついて、忘れようにも忘れられない。

 

鑑賞 >>>

 家持坂上大嬢に贈った歌1首併せて短歌。作歌の時期は不明で、すでに二人は夫婦関係になっているものの、家持の多忙のためか、あるいは二人の間に何らかの障害があったのか、同棲できない嘆きを訴えています。この時、家持は恭仁京におり、大嬢は平城京にいたようです。

 1629の「ねもころに」は、念入りに、心を込めて。「言はむすべ」は、物を言う手だて。「白栲の」は「袖」の枕詞。「白栲」は、楮(こうぞ)の類の樹皮からとった繊維、またはそれで作った白布のこと。「あしひきの」は「山鳥」の枕詞。「うつせみの」は「人」の枕詞。「心なぐや」は、心を慰められるか。「高円」は、奈良市東南の高円山一帯。「にほひてあれば」は、美しく色づいているので。「偲はゆ」の「ゆ」は、自発。慕わしい気持ちになる。歌の内容から、家持は、朝は二人が手に手を取って庭で遊び、夜は袖を重ねて共寝をするのが、理想の夫婦生活だと考えていたことが窺えます。

 1630の「容花」はどの花であるか未詳で、昼顔、朝顔、杜若、むくげなどの説や、単に美しい花という説があります。『 万葉集』に容花が詠まれた歌は4首あり、「貌花」とも書かれています。国語学者大槻文彦が明治期に編纂した国語辞典『言海』によれば「かほ」とは「形秀(かたほ)」が略されたもので、もともとは目鼻立ちの整った表面を意味するといいます。「面影」は、目に浮かぶ人の姿。見ようと思って見るものではなく、向こうから勝手にやってきて仕方がないもの。「忘れかねつも」の「かね」は、~しようとしてできない意を表します。

 

 

『万葉集』掲載歌の索引

大伴家持の歌(索引)