大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

朝な朝な通ひし君が・・・巻第11-2359~2360

訓読 >>>

2359
息の緒(を)に我(わ)れは思へど人目(ひとめ)多(おほ)みこそ 吹く風にあらばしばしば逢ふべきものを

2360
人の親(おや)処女児(をとめこ)据(す)ゑて守山辺(もるやまへ)から 朝(あさ)な朝(さ)な通ひし君が来(こ)ねば悲しも

 

要旨 >>>

〈2359〉命がけで愛しているが、人の目が多くて思うように逢えない。もしも私が吹く風であったなら、たびたび逢えるものを。

〈2360〉人の親が我が娘を大切に守るという守山のあたりを通って、毎朝のように通って来ていたあなたが来なくなって悲しい。

 

鑑賞 >>>

 『柿本人麻呂歌集』から、旋頭歌2首。2359の「息の緒に」は、命がけで。イキは呼吸・息、ヲは紐のように長く続いているものを表します。「人目多みこそ」の「・・・を~み」は「・・・が~なので」の意。人目が多いので。「こそ」の下に「あれ」が略されています。人目が多いからという理由で逢いに来ない男の歌です。このほかにも人目や世間の噂を恋の障害とする歌が数多くあり、現代の感覚からすれば、もっと堂々とすればよいのにと思うところですが、この時代の男女関係は個人的であるのと同時に、より社会的なものだったことが背景にあるようです。家族があり、氏があり、さらに村という地域社会がある。そうした中にあっては、どんな相手かが重要であるのはもとより、きちんとした手続きを踏んで結婚することが求められていました。しかしながら、恋というものはいつも手続き通りに進むものではない。しばしば隠さなければならない時と場合があったことは想像に難くありません。しかし、そういう時こそ、すぐにばれてしまう・・・。

 2360は、求婚し続けてくれていた男が来なくなったのを嘆いている女の歌。「人の親」は、母親。「人の」は、感を強めるために添えたもので、「人の子」と共に例の多い語です。「据ゑて」は、居させて。上2句は、守ると続けて「守山」を導く序詞。「守山」は、所在未詳。この場合の妻問いは「夜な夜な」ではなく「朝な朝な」だったということでしょうか。それとも、まだ求婚の段階にとどまっていたから「朝な朝な」という表現になっているのでしょうか。

 

 

『万葉集』掲載歌の索引

柿本人麻呂の歌(索引)